保室の事件帳

江戸版ホームズ+大河ドラマリメイク。「蜂曽我部家の怪猫」続編をしばらくアップします。『直虎と呼ばれた女』は10月7日から再開です。

直虎と呼ばれた女 女地頭と大名たち 二

政次は例の目付の件を切り出した。中野直由はあまり嬉しそうではなかったが、直平も新野左馬助も、神妙な面持ちで聞いていた。奥山六左衛門は、ふむふむとうなずくような顔をしていた。
「そこで、この井伊家を補助して頂くということで」
「具体的にどのような方々じゃ」
新野が訊いた。政次は近藤康用、鈴木重時、そして菅沼忠久の三名の名をあげ、さらにこう述べた。
「今すぐにとは申しませんが、いずれそのような時が来た折には」
さらに、今川家が松平元康に対抗し、反今川の国衆のもとへ兵を出す予定であること、井伊家からも参戦をということも同時に伝えた。不思議なことに、直平は少しも嫌な顔をしなかった。
「太守様の御為じゃ、これも致し方あるまい。最後の御奉公じゃの」
それは直平が、年齢と共に角が取れ、丸くなった証とも取れたし、直盛と直親を相次いで失い、虎松の後見人となった人物の、せめてもの処世術とも取れた。

その後直平は、氏真から出陣を命じられた。今川に抵抗を続ける、曳馬城の飯尾連龍の討伐のためであった。直平は勇躍自らの兵を率いて曳馬城へ向かった。その二日前に、次郎も井伊の館に姿を現した。直平は酒宴を開いており、上機嫌であった。新野、中野も共にいて、女たちが忙しそうに立ち働いていた。
「どうじゃ、そなたも一杯」
「私は出家の身ですので」
「よいではないか、直親の祝言の時も飲んだであろう。この大爺への餞と思うてくれ」
次郎はやむを得ず、一杯だけ口にした。宴はいつ果てるともなく続いていた。次郎に取って、それは直平の生涯が閉じられる前の、瞬時の明るさに見えた。
その後直平は出立した。途中の陣中で、直平と兵たちにまたも酒が振舞われた。それは今川からの陣中見舞いとされていたが、実質は飯尾の妻、お田鶴がこっそり運ばせたものであった。その酒を浴びるほど飲んだ直平は、その後飲み過ぎたと言って横になり、翌朝兵が様子を見に来た時には、既に息を引き取っていた。

直平に代わって、今度は新野左馬助が虎松の後見人となった。直平の急死もあり、氏真は以前よりもなりふり構わずに、反今川勢力を抑え込もうとしていた。その後新野、中野の二人も出陣し、曳馬城を攻めた。この時の飯尾の反撃はすさまじかった。これにより、包囲軍の一部にいた新野も中野も撤退を余儀なくされ、それぞれ違う方向を伝って退却しようとした。
しかしそこには、徳川と通じた国衆たちが待ち受けており、ゲリラ戦的にそれぞれを狙った。当時一向一揆がやっと治まり、兵をの動員が可能になった家康だが、まだ十分ではなかった。そのためまず国衆たちに恩賞をちらつかせ、親今川の国衆たちを狙わせたのであった。

次郎はその後も寺に留まっていた。しかし既に井伊家の直系も縁者もいなくなり、後は次郎か南渓位しか、後見人の候補がいなくなっていた。奥山、あるいは中野も親類筋であり、後見人という点では納得できたが、如何せん二人とも政には疎かった。政となればやはり政次であったが、しかしこの男が後見となるには奥山と中野、とりわけ中野の息子である直之を説き伏せなければならなかった。直之は小柄な父親と違い、長身の兵法者で、剣術には長けていたが、駆け引きや調略を好まず、またその才もなかった。
そこで南渓は、政次と六左衛門を寺に呼び、次郎を後見人とすることで話を勧めた。これは次郎不在のまま話が運び、ある程度まとまってから、次郎はその話を初めて耳にした。
「政も知らず、しかも出家の女子に後見人が務まりましょうか」
「わしも知らぬ」
南渓は平然と言ってのけた。そしてこうも言った。
「しかしそなたは、次郎法師と名乗っておる。次郎である以上、井伊家の務めは果たさねばなるまい。我らも協力する故、ここはやってみぬか」
このような次第で、次郎は「仕方なく」後見人を務めることになった。評定の間に尼頭巾をかぶり、母のお下がりの打掛と小袖を着て現れた次郎は、ここで初めて自らの新しい名を名乗ることになった。

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直虎と呼ばれた女 女地頭と大名たち 一

直平と直由は小野屋敷に着いた。政次の妻菊が現れて二人を奥へと案内し、伏せている夫の耳元に来客のことを囁いた。政次は力を振り絞って起き上がり、菊と家人が彼を支えた。顔が熱のために紅潮し、視線が定まらなかったが、床の上に座り、二人に一礼した。
「この度は、急な病にて…」
政次はそこまで言いかけてよろめいた。なおも言葉を続けようとするのを、直平が制した。
「但馬、もうよい。休んでおれ。体が治るまで、とにかく養生せい」
政次はそこで精魂尽き果てたように、家人の腕に倒れ込み、そのまま眠ってしまった。直平も直由も、この男がここまで弱っているのを初めて目にした。直平は政次が、まぎれもなく病であることを知り、直由の手前気まずそうに口を開いた。
「話を聞いて慌てて駆け付けたものでな、生憎何も見舞いの品を持って来ておらぬ」
後で届けさせると直平は言い、直由と二人で小野屋敷を後にした。その日の午後になって、直平から酒が送られて来た。

次郎法師もそのことを耳にしていた。しかしまだ熱があるということで、いくらか治まってから様子を見に行くつもりでいた。また南渓も、井伊家の家臣ということで菓子を見舞いに持たせた。いくつか見舞い品が並んだ部屋で、政次は半ばぼんやりとした頭で、なおも色々なことを考えていた。
(虎松君の後見は誰にするべきか)
直平か新野か、あるいは奥山六左衛門かとも考えていたが、いずれも政に関してはやや難があるのが問題だった。
(いっそ俺が名乗りを上げるか)
しかし、反対されることは目に見えていた。いっそ次郎法師を引っ張って来て、表向きは次郎にまかせ、自分が政務一切を取り仕切るという方法もあった。その方が現実的であると思えた。しかし、ここで気になるのは虎松の母、ひよの姿勢だった。恐らく次郎の後見に反対はするまいが、全面的に賛成というわけでもなさそうで、そこを突けば自分にいくらかの権限は与えられる。政次はこのような状態で、なおもそういうことを考えていた。

二日ほど経って、次郎が見舞いに来た。政次は、床の上に座れるほどには回復していたが、まだ体力が十分でなく、食欲もあまりなかった。
「無理をせずに十分休むことじゃ」
「それは分かっておりますが、それがしがおらぬと、政の一部に支障をきたしますゆえ」
菊が持って来た薬湯を啜りながら、政次は答えた。
「この病が治りましたら、井伊家に新しく紹介したい人物がおります」
「新しい家臣ということか」
「新しい目付という方がよろしいかと」
また目付かと、次郎はうんざりした。この目付の増員は、そのまま、今川家の井伊への不信感を現しているとも取れた。

政次は病が癒え、再び出仕することになった。その前夜に久々に入浴し、髪を洗いほぐした。
(もう、直親のことはこれで終わりじゃ)
そう考えると、今自分が湯を浴びているのが、禊のように思えてならなかった。翌日、久々に素襖に手を通し、井伊の館へ出向いた政次は、病によるやつれがまだ残っており、そのためどこか刺々しく見えた。評定の間に入り、直平や直由、新野に頭を下げた。
「この度急な病により、政が滞りましたことをお詫びいたします」
「左様なことは気にせずともよい、但馬殿」
新野左馬助が言った。直平と直由もうなずき、直平はこう言った。
「但馬、相当やつれておるようじゃが、もう大丈夫なのか」
政次はいくらか咳込んだが、すぐにこう答えた。
「それがしはもう治りましてございます」
そしてさらに加えた。
「それよりも、お話ししたき儀がございます」

蜂曽我部家の怪猫 十六

我々は外へ出た。お濠の辺りに大勢の群衆がいて、その彼方に化け猫、須藤古之進の言う張りぼての化け猫がいた。しかし保室の目は別の方向へ向いていた。数人の武士が走り去ろうとするのを、他の数十名の武士が必死に止めていた。
「どうやら筆頭家老が、化け猫のどさくさで逃げ出そうとして失敗したようだな」
我々は望月先生共々、そちらの方に向かった。すると誰か肩を叩く者があった。振り返ると、須藤古之進がそこに立っていた。
「実はあの件がいよいよ明るみに出ましてね、おかげで馬場一味は上を下への大騒ぎですよ」
その数日後お沙汰が下り、筆頭家老の馬場以下数名は切腹、他は謹慎となった。一方城下では、化け猫騒動はどうやら、ご家中のもめごとと関係があったということになり、後は沈静化した。

この騒動から十日ほど経ち、我々は江戸へ戻る準備を始めていたが、その直前に須藤古之進から屋敷に呼ばれた。藩主の縁続きということもあり、どのような屋敷かと思っていたら、意外にこじんまりした住まいで、使用人も六名ほどだった。
「よくおいで下さいました」
須藤はまるで、自分が目下であるかのような口調で我々を出迎えた。
「一度ゆっくりお話をしたかったものですから」
私は庭を眺めた、質素な作りであったが、流石に所々贅が凝らされていて、南蛮渡来の植物と思しき物も植えられていた。須藤は我々に抹茶と干菓子を振舞ってくれた。
「世羅田には気の毒なことをしました。埋葬し直してやりたいと思っています」
そう言って、須藤は傍らの箱から下駄を一足取り出した。
「下駄…」
「そうです。ちょっとそそっかしい男で、一度下駄を片方無くしたことがありました。世羅田が濠から上がった後に出て来て、何か形見のような気がして取っておいたのです。でも一緒に埋めてやろうと思います」

そして、半田梅翁も江戸から戻って来た。私も帰る前の思い出にと、かつて馴染みになった店に連れて行き、そこで酒を振舞った。私がおごるつもりだったのだが、半田がすべての勘定を引き受けてくれ、逆におごられることになった。
「江戸でまさ殿にお礼を渡そうとしたのですが、お断りになったので、こちらで使うことにしました」
半田は薄青地の胴巻を取り出した。
「あずさが縫ってくれたものです。やはり里村藩に帰ることにしたと言ったら、可哀想なくらいしょげていまして…」
半田はちょっとそこで言葉を切り、また続けた。
「でもその翌日、これを餞別にくれたのです」
飲み屋の親父も、化け猫のことはすっかり忘れたような顔をしており、店を出る我々に、またここに来たついでに立ち寄ってくれと声をかけた。
「これでもう、すべてが終わったのかね」
保室は答えた。
「化け猫はもう出ない。しかしもっと別な物が、これからも出て来るのさ」

我々は望月先生に別れの挨拶をして、里村藩を後にした。途中で例の宿の主人に会ったが、例の瀬尾なる人物がまた現れたと、辺りをはばかるかのように小声で教えてくれた。
「かの御仁がまた何かやらかすのかね」
「さあ、あの人は何かやらかしてばかりだからな」
翌日、久々に江戸の土を踏んだ我々は家へと急いだ。鳩さんはいつも通りの笑顔で出迎えてくれた。
「お帰りなさいませ、お疲れ様でした」
「やれやれ、やっとここに帰って来て一安心だ」
保室はそう言って、向こうにいるあずさを手招きした。
「ほら、半田殿からもらった物、和田先生に見せてあげろ」
あすさは髪から桜をあしらった簪を外し、私に見せた。何やらとても嬉しそうな表情だった。

蜂曽我部家の怪猫 十五

「つまり蘭学者たちの騒動がばれないように、化け猫の張りぼてを仕立てておくと」
「全くその通りじゃ。しかも予め城下に噂をばらまいておき、あたかも化け猫が出るように仕向けておいた」
「しかし森崎殿も、何もご自分でなさらずともよいように思いますが」
「そこがあの人物の怖い所じゃ。かの御仁は自分の本性がばれない限り、いくら間者と見破られても平気な人物であるからのう。そこが他の腹黒き御方とはわけが違う。他の者を仕立てることの恐ろしさを、十分理解しておられるのであろう」

「時に、須藤古之進殿についてお尋ねしたいことがございます」
保室はやや膝を乗り出すようにして、冨楽庵に尋ねた。
「須藤殿のご遺骸は、ご本人のものだったのでしょうか」
瞬間、冨楽庵の表情が動いたように見えたが、また元の表情に戻り、保室の方を向いてこう答えた。
「よう、お気づきなされたな」
「実は、先日からそうではないかと思っておりまして」
私は保室が何を言いたいのか、少しもわからなかった。袖を引っ張ろうとしたが、保室はさらに冨楽庵のそばに近づいたため、いたずらに手が畳の上をこすっただけだった。
「では、お願いがございます。そのお髭をお取りいただきたいのですが」
冨楽庵は髭を取り、背筋を伸ばした。すると、そこには全く違った人物が現れたのである。

「初めまして、須藤古之進様」
「いやいや、よう見抜かれた」と冨楽庵、もとい須藤は言い、私と望月先生の方を向いてこう言った。
「驚かせてすまぬ」
望月先生は、これ以上ないほどの驚いた顔をして、声を上ずらせつつこう言った。
「あなた様が…よもや須藤、古之進様…」
「そういうことだ。私と思われていたのは、私の弟子の世羅田という者だ。この男が早まって自害をしたため、誠にすまぬと思いつつ身代わりになってもらったのだ」
その後須藤古之進は、自分は藩主の従兄であると話し、筆頭家老一味の悪だくみについて話し始めた。蘭学者追い落としはもちろんのこと、若君をも廃嫡し、新たに分家筋から養子を迎えるべく、手を打っていたことも明らかになった。さらにその蘭学者追い落としに力を貸したのが、自身も蘭学経験のある、かの森崎殿ということであった。

「森崎殿も、仲間を討つとは随分なことをなさる」
「和田殿」
須藤古之進は私の方に向き直り、こう言った。
「それは、そなたが真っ当な見方をする人物だからじゃ。あの森崎殿は、我々の物差しでは測れぬ、誠に不思議な人物であるからのう」
我々は一旦、望月先生のお宅に戻った。先生の家で夕食を取りながら、今後どうなるかについて話し合った。須藤古之進が生きていた以上、今後は筆頭家老派が苦しい立場に立たされそうだった。そして化け猫は、もうこれ以上の蘭学者追放は考えられない以上、二度と出ることもないだろうといったことを、酒にまかせてあれこれ話していたところへ、女中が障子を開けた。
「おや、どうした」
「先生、また化け猫が出たようで、ご城下が騒いでいるそうです」

蜂曽我部家の怪猫 十四

冨楽庵は書類を持って来させ、我々にそれを見せた。それには漢詩と思しき物が書かれていた。ただ不思議なのは、ところどころ墨が薄くなっている箇所があることだった。その部分の文字を拾ってみたところ、このようになった。
「若、君、殺、奉、候」
「これは…」私は後を続けようとしてためたった。その後を保室が引き取った。
「若君、殺し奉り候」
冨楽庵は表情を変えずにうなずいた。
「これを書かれたのは、瀬尾殿ですね」
「左様、瀬尾殿、町人の元吉、そしてかの森崎殿じゃ」
「やはり、この事件に絡んでおられましたか」
望月先生は、何が何やらわからないようで、呆気に取られていた。

「森崎殿は、筆頭家老の馬場殿と誼を通じておられた」
「馬場盛昭殿ですね」
「恐らくは…」
「恐らくはとは」
「この里村藩取り潰しの意図があってのことじゃ」
保室は多分そこまでは感づいていたのであろう。大きくうなずき、更に切り出した。
「それで、次席家老の頼奥佐衛門殿と対立することになったわけですか」
「最もじゃ。そのために、次席家老派が優遇していた蘭学者たちが、矢面に立たされることになった」
「それはひどい話でございますな」
望月先生の言葉に、冨楽庵はもっともだという風にうなずいて見せた。

「私はその橋渡しをさせられたのじゃ。当初馬場殿は、あたかもそれが正義であるように私を言いくるめた。しかし、段々とそれが怪しいことに気づいて来た」
「怪しいと仰いますと、それは森崎殿が絡んで来たのに気づかれたからでしょうか」
「それもあるが、その時はまだ正体がわからなかった、元吉なる町人が、しきりと馬場殿と会っていたことじゃ。里村藩は小藩だが、筆頭家老と町人がじかに会うことなどまずない」
「だから、元吉は今度は瀬尾になりすましたと」
「そういうことじゃ」

「一つ伺ってもよろしいでしょうか」私は口を挟んだ。
「構わぬ。どういうことじゃ」
「その元吉が森崎殿であったのなら、町人に化ける理由とは何だったのでございましょう」
「よう気づいた」
冨楽庵は持っていた扇で、畳をぴしゃりと叩いた。
「それは、江戸の見世物小屋の主と取引をするためじゃ。これでことの次第が、大体わかったであろう。見世物小屋の化け猫が、どうしても必要だったのじゃ」
保室は我が意を得たりという顔をしたが、私と望月先生はあっけに取られていた。