保室の事件帳

直虎と呼ばれた女 二人の次郎 四

「お前が、肥後守のことを言いふらしておる者か」
「殿様、ご勘弁を。あっしは言わされただけでして」
「言わされた、とは、誰に言わされたのだ」
「小野但馬守様です」
「但馬が…」
「へい、若殿様が百姓女と会って、子供まで儲けたと嘘をばらまけと仰って、金と酒をくださったんで、それで」
「叔父の村長には何も話さなかったのか」
「今すぐやって来いといわれまして」

直盛は釈然としなかった。あの政次が、このような稚拙な、しかも明らかに直親に不利となるようなことを、するはずがないと思ったのである。そのまま嘉助を帰し、政次に話を聞いてみることにした。しかし政次は一笑に付した。
「左様な、若殿様に迷惑のかかるようなことを、私がするわけはございませぬ」
「確かにそうであろう、とてもそなたがしたとは考えにくい」
「どなたか、若殿様に恨みを持つような人物が、他におられるということでしょうか」
「恨みを持つ者といっても、あいつは今までさほどのことをして来たわけでもないしいのう」
「いえ、たとえば、ご自分の考えを肥後守様がお受けにならないので、それで焦っておられるとか」
政次の目が、こちらを見ていた。それに直盛はぴんと来るものがあった。

翌日、再び嘉助が呼ばれた。
「お前が昨日言ったことについてだが、但馬は知らぬと申しておる」
「しかし、おらは確かに但馬守様が…」
「嘉助」
直盛は嘉助に近寄り、この男らしくない大声を張り上げて詰め寄った。
「本当に、但馬守なのか…嘘をばらまけと申したのは」
嘉助は頭を下げ、蚊の鳴くような声で答えた。
「ご隠居様で、ごぜえます…」
「声が小さい」
「ご隠居様に酒と金を頂いて、やって来いといわれました。何かかなり焦っておられました」

その二日後、直平は井伊谷にやって来て評定の席についた。直盛は一同に対して言った。
「今日はまず、皆に申しておかなければならないことがある」
そうして直盛は直平の前に進み、腰を下ろして口を開いた。
「爺様、いい加減になされませ。次郎のこと、既にこの私が把握してございます」
直平は驚いた様子を見せたが、照れたような笑いを浮かべて言った。
「見破られたか、小野の倅のせいにできると思うたのに」
その笑顔が、直盛の気持ちを逆なでした。彼はさらに声を荒げて言った。
「ここで但馬を貶めて、何となされます。のみならず、我が嫡子次郎直親をも辱めかねるが如きことをなされ、このままで済むとお思い召されるな」

「まあ、そう気色ばむな。あの小野の息子の辛気臭い面を見ていると、ついからこうてやりたくなるものでのう」
その場には、もちろん政次も居合わせていた。政次は無表情のまま黙っていた。
「爺様の左様な態度が、この井伊を危なくしていることにお気づきなされませぬか」
「何だと、今川をおちょくることくらい何が悪い」
「爺様がご自分のお屋敷で、今川家をどうこう言われるのは勝手でございます。しかしこのように領民をも巻き込み、今川家の目付である但馬を愚弄するが如き振舞いは、井伊家を二つに割る物でございます」
直盛はそこまで言って呼吸を整え、さらに続けた。
「井伊家が反今川とそうでない者と二つに割れれば、これは今川家の格好の標的となり、取り潰されることにもなりかねませぬ。以後、よくよくお気をつけられますように」

直平は気まずそうにしていたが、やがてその場を蹴って立ち上がり、腰巾着ともいえる中野直由を伴ってその場を去って行った。直盛は声を洩らした。
「困った爺様じゃ」
このことは清蔵によって、次郎法師にも知らされた。お千佳は反対したが、直平の行動について話しておけと直盛に命じられたのである。
「但馬守はそこまで皆に嫌われておるのか」
「やはり今川家の目付でもあり、あの風貌と頭の切れのよさゆえ、あまり親近感は持たれておりませぬ。殿や新野様、奥山様はさほどではございませぬが、ご隠居様や中野様は、かなり嫌っておられるようで」
清蔵が帰った後、次郎はまたも思いを巡らせた。直平にしてみれば、政次を悪人に仕立て上げて、直親を守ろうとしたのだろうが、ただでさえ謀略がうまいとはいえない曾祖父のことでもあり、とんだ裏目に出てしまったのである。

幸い、このことでの今川家からの咎めはなかった。その後弘治という元号は永禄と改められ、今川義元の尾張への侵攻は、いよいよ現実味を帯びて来るようになった。そして永禄三(1560)年の年が明け、義元は今年こそ、尾張を我が領土とすることを決意した。

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直虎と呼ばれた女 二人の次郎 三

一方次郎法師は、直親夫妻に祝辞を述べた後、曾祖父直平に勧められて祝い酒を口にした。出家の身であると再三断ったのだが、直平が少しだけならいいじゃろうと絡み、直親が間に入って、一杯だけ口にすることになったのである。その酒は、甘味があるもののかなりつんと来て、まずくはないが、さほど美味な物でもなかった。
次郎はそれから龍潭寺に戻り、直親夫妻と自分の関係がどうなるのか、思いを巡らせてみた。恐らくことがうまく行けば、直盛から直親へと井伊家は受け継がれ、さらに直親に嫡男が生まれたら、その子へと受け継がれるのであろう、しかしその間戦が起こり、井伊家の継承に差し障りでも出たら、一体どうなるのであろうか。一介の出家の身ではあったが、井伊家の娘であり、しかも還俗できるという選択肢を持つ以上、今後のことについて次郎はまだ決めかねていた。

その頃今川家では、義元の嫡男である氏真が、北条家の娘を嫁に迎えていた。また、今川館で見かけた瀬名が、今川家に人質に出されていた、松平竹千代と結婚することになった。既にこの当時竹千代は元服し、義元の元の字を貰って、名を元信と改めていた。瀬名はこのことを、文で次郎に知らせていた。清蔵が持参したその文を読んだ次郎は、松平元信という若い武将が、この先今川の家臣となって行くのだろうと思い、いくらかの興味を覚えた。
また義元は検地を行った。無論井伊家の領地もその対象となったが、ここで問題になったのが、直平が領地の川名に隠し持っている田畑であった。直平はこの地を、南北朝時代の親王であり、井伊谷にもゆかりのある宗良親王の御料地としていた。検地に立ち会うに当たって、そのことを政次から教えられた直親は、その旨をはっきり伝えており、また今川の家臣たちもこの件を黙認し、すべて丸く収まった。

しかしこの弘治元(1555)年、今川家に不幸があった。義元が師と仰ぎ、軍事や内政の顧問としても頼りにして来た太原崇孚雪斎が、60歳で亡くなったのである。これによる義元の落胆は大きかった。また、この人物から学問を教授された松平元信も、その死を惜しんだ。また病死ではなく、毒を盛られたのではないかとか、あるいは、今川に反発する国衆の仕業ではないかなどといった流言飛語もあったが、義元は悉くそれらを無視した。
しかし葬儀が終わった後、義元は氏真を呼び、国衆との付き合い方について教えた。国衆というものは、寛容すぎても、あるいは厳しすぎてもよくないことを述べ、そなたが跡目を継いだ場合には、このことをよく心しておくようにと諭した。義元も近いうちに、尾張の織田信長との間で一大決戦が起こることを覚悟していた。以前から織田とはしばしば衝突しており、いずれその時が来ることは、火を見るより明らかであったため、伝えるべきことを伝えておきたかったのである。

井伊谷では直親が、祝田でひよとの新婚生活を送っていた。次郎は農繁期にはしばしば村へ行き、刈り入れなどを手伝っていた。その時、次郎はよからぬことを耳にした。直親が日が暮れてから村へ行き、百姓女と会っているというのである。しかも二人の間には子供がいるなどという話まで、耳に飛び込んで来た。井伊家の跡継ぎの話ということで、この話はまたたく間に村に広まった。
この話は、直盛とお千佳の耳にも入った。直盛は直親を呼び、事の真偽について尋ねたが、直親は、百姓に相談を持ちかけられて、村に出向いたことはあるものの、女のことなどは一切知らないと言い通した。そのうち、この噂をばらまいた者が発覚した。嘉助という百姓で、祝田の村長の甥に当たる男であった。直盛は嘉助に尋問した。

直虎と呼ばれた女 二人の次郎 二

やがて直親の縁談がまとまった。相手は奥山朝利の娘、ひよであった。ひよと、妹のまつとのどちらかということになったが、年上のひよということで決まった。ひよはしっかり者でおとなしく、直親と結婚するに当たって、高瀬を自分たちで引き取ってもいいとまで申し出ていたが、当面は二人きりで祝田で生活をして、落ち着いたら検討しようということになった。
その高瀬は、お千佳ととよが中心になって面倒を見ていた。高瀬は、次郎が子供の頃に着ていた小袖のおさがりを着せられ、お千佳に文字を教えてもらったり、本を読んでもらったり、天気のいい時は、とよと外に出たりして日を過ごしていた。最初は怯えていたような高瀬も段々慣れて来て、井伊谷での暮らしを楽しむようになっていた。

直親とひよの婚儀が行われた。次郎も挨拶に来るようにとのことで、一連の儀式が終わってから、和尚からことづかった酒を持って、久々の我が家に足を運んだ。評定の間に座っている二人に、次郎が祝辞を述べ、二人は礼を返した。するとそこへ、かなり酒が入っているであろう曾祖父直平が現れ、次郎を見つけて心底嬉しそうに声を張り上げた。
「次郎か、久々だのう」
直親が苦笑した。
「爺様、私も次郎でございます」
「そうじゃった。井伊家に次郎は二人おったか」
次郎が南渓からの酒を差し出すと、直平は一層表情をほころばせた。
「これはこれは、和尚にはいつもありがたいことじゃ」
南渓も僧でありながら相当の酒好きであり、時折井伊の屋敷に来ては、今後の井伊家についての談義を行いながら、直平や直盛たちを酒を酌み交わしていた。

しかし家督を継いだとはいえ、直親には内政も、あるいは井伊谷周辺の状況もわからないことだらけだった。そこで内政に関しては、小野政次が手取り足取り教える格好になった。また村々を回るのには、奥山や中野といった家臣が付き添っていた。
政次はこの年、父和泉守政直が病死していた。小野家の当主となったったうえに、直親の家庭教師的な役割も果たさなければならず、また駿府に赴いて、直親の帰還や元服の許しを得なければならず、政次は多忙を極めていた。屋敷に帰れないこともあり、妻にも寂しい思いをさせているうえに、今川の目付け役ということで、井伊家中では直盛をのぞき、いい印象を持たれていなかった。父の負の遺産ともいえるし、井伊の今川観がそうさせている部分もあった。
何より、父の死により直親が戻ることになったわけで、政次にしてみれば、父が井伊家のためを思ったにもかかわらず、井伊家から邪魔者扱いされていたのが不愉快だった。無論表には出さなかったものの、このことは政次の中でどす黒く渦を巻いていた。

政直が死ぬ前に、彼は父に尋ねたことがあった。それは、井伊家が殊更に人質を嫌う点だった、ひさの駿府行きの時に、今川家の人質になることを勧めたのは、この父だった。しかし新野や直盛、そして直平により、この件は反故にされた。直平が、娘の佐奈を義元に差し出した件で懲りていたからともいわれていた。しかしこの、人質が当たり前といえる時代にあって、直平の態度は尋常ではなかった。
「あの方がおひとりで、井伊家に反今川の種を撒いている」
和泉守はそう言っていた。さらにこうも言った。
「お前は私と同じ道を辿る、それが目付としての、小野家の嫡男の務めだ」
さらに政直はこうも言った。
「あるいはお前は、私を超えるかもしれぬ」
この父の最後の言葉に、政次は戸惑っていた。「超える」とはどのような意味なのか。それを、まだ若い政次はつかみかねていた。

蜂曽我部家の怪猫 十三

旅籠の主人は宿帳を調べてくれ、例の行商人の名前と、どこから来た者であるかを突き止めてくれたのである。
「名前は小戸屋元吉、江戸からのお客様です」
「小戸屋元吉か…そのような店は聞いたことがないな。偽名かも知れないな」
「実は、私もそう思っております」
「また、それはどうしてだい」
「実はこの方にそっくりな方が、先日お見えになりまして、実はその時の格好はお武家様でした」
私と保室は顔を見合わせた。

「その、武士の方の名前は何というんだ」
「瀬尾平左衛門様とお書きになりました」
我々はその旅籠へ急いだ。宿帳にある元吉と瀬尾の文字は、どう見ても同じ人間が書いたとしか思えなかった。
「どうやらこの二人は同一人物のようだな。ご主人、この瀬尾なにがしの歩き方に何か特徴はなかったか。どちらかの足を引くとか」
「いえ、しごく普通に歩いておられましたが」
保室は満足そうな表情になり、片手で顎をなでた。

望月先生のお宅へ戻る途中、保室はこう言った。
「元々は武士で、行商人に変装していたということになるのか」
「しかし、なぜこうすぐに足のつくようなことをするんだ。もうちょっとうまく変装すればいいのに」
「同一人物だとわからせたいのかもしれないな、相手は」
「どういうことだ、よくわからない」
「まあ、そう遠くないうちにすべてがわかるさ」
保室は自信満々だった。

その夜、保室は一人でかがみ込むような姿勢を取っていたかと思うと、障子を開け、外を眺めた。同じ動作を三回ほど繰り返してから、出し抜けに私に話しかけた。
「恐らくこういうことだろう」
そう言って、彼は私の前にかがみ込んだ。
「化け猫騒動は蘭学者追放のかくれみの、これは間違いなさそうだ。そのために、この元吉と瀬尾を名乗る同一人物が暗躍していた」
さらに、彼は私の顔をのぞき込み、手を合わせてこう言った。
「実は、もう一度冨楽庵殿にお会いして、伺っておきたいことがある。望月先生を通して、頼んではくれまいか」

望月先生の許可を得られ、翌日私たち三人は、再び冨楽庵殿の屋敷に向かった。先生がしばらく薬の話をした後、保室が再度質問をした。しかしその内容は、思いがけないものだった。
「冨楽庵様、申し訳ないのですが、昨日懐に入れておかれた文書、あれを見せていただけないでしょうか」
「左様な物は、持ってはおらぬが」
「いえ、先日貴方様は懐紙を取ろうとして、うっかりその文書を取り出そうとなさいました。私はそれが何であるのか、気になっていたのです。それさえ見せていただければ、蘭学者の件も、須藤殿の件も多分わかると思いますので」

直虎と呼ばれた女 二人の次郎 一

亀之丞が実際に戻って来たのは、それから一月余り後のことだった。家人一人を従えて、久々に井伊谷に現れた彼は、かなり背が高くしかも日焼けし、眼つきの鋭い男になっていた。出迎えた井伊家の親類衆である中野直由、奥山朝利は互いに顔を見合わせて言った。
「これは、彦次郎(直満)様に似て来られたのう」
しかも彼らには、もう一つ驚くべきことがあった。それはまだ幼い少女を、亀之丞が連れて戻って来たことであった。親類衆に案内されて、当主の直盛に面会した亀之丞は、まず自分を逃がしてくれたことの礼を述べた。

そして亀之丞は、家人が抱いていた少女を受け取り、直盛とお千佳に紹介した。
「娘の高瀬でございます」
娘という言葉に、二人は目を丸くした。聞くところによれば、長源寺にいた亀之丞は、地元の地侍の家で剣の稽古をしていたが、その家の娘と恋仲になり、その子が生まれたというわけであった。実際その子は、亀之丞の小さいころにいくらか似ていた。
「母親は連れて来なかったか」
「生憎、先の冬に風邪をこじらせて死にました故」

亀之丞は、やや沈鬱な面持ちでそう答えた。直盛は悪いことを聞いたかと思い、話を変えた。
「ところで元服のことだが、早い方がよかろう」
「ありがとうございます。もはや子もおりますのに、未だ元服前でございますので」
「よい跡継ぎが出来たものじゃ、姫もおるしのう」
実は亀之丞はまだ元服を済ませていなかった。井伊家で式を執り行いたいという本人の希望が、南渓に文面で知らされており、直盛は早速その準備に取り掛かった。また、縁談の話も持ち上がり、井伊家はにわかに活気を帯びて来た。

しかし龍潭寺にいる次郎は、そのようなこととは無縁だった。無論、実家の井伊家に戻って祝辞を述べることはできたが、それも頑なに拒んで来ており、元服の際も、清蔵がそれを伝えに来てくれたのである。
「亀之丞は、どのようになっておったか」
「それは、実に堂々とした若武者振りで、お父上の彦次郎様によく似ておいでです」
「そうか、名は何というのか」
「井伊肥後守直親様にございます」
清蔵はそこまで言って、次郎が何か寂しげにしているのに気が付いた。
「お会いにはなりませぬか」
「今は別にいい、一人で色々と考えたいのじゃ」
清蔵が帰った後、次郎は文机に肘をつき、ため息をもらした。

亀之丞の元服については、何も異存がなかった。その娘の高瀬も、井伊の姫として、そこそこの家との縁組みもできるという安堵感もあった。しかしこれまでの十年間は、亀之丞不在という前提で成り立っていた。特に自分の寺での生活は、亀之丞がいない世界で成立したものであった。
そこに亀之丞改め直親、高瀬、そして直親の正室になるであろう女性が、新たに入って来ることにより、自分の出家生活も、これまで通りには行かなくなるであろうと、次郎は考えていた。