保室の事件帳

江戸版ホームズ+大河ドラマリメイク。

直虎と呼ばれた女 井伊家の終焉 六

直虎は不意を突かれたような気がしてうろたえた。
「それが、まだ決まっておらぬのじゃ」
「え…」
「三人衆のうちどなたかが入ることになる、そうとしか言えぬ」
「松平様の御家来ではないんですかい」
「そうではないのじゃ」
こういう時に明確な返事ができないのは、自分としても腹立たしかった。しかし今の時点では、こうとしか言いようがなかったのである。
「そのうちにお沙汰があるから、それまで待っておれ」
「ところで殿、徳政令のことですが」
別の村長が口を開いた。
「あれもいずれ果たさなければなるまい」
「今川様の今後にかかわらず、ですか」
「そうなる、約束であるから」
直虎はそれ以上こらきれなくなり、涙ながらに皆に頭を下げた。
「かような領主ですまぬ」

それからしばらく経ち、桜が咲く頃になった。直虎の許に寿桂尼の訃報が届けられた。
「みまかられたか…」
直虎は元気なくつぶやき、そのまましばらく無言でいた。寿桂尼は死に際して、今川の守護者たらんと欲し、鬼門の方角に埋葬されたことも知った。しかし彼女がそれほどにまでして守りたい今川が、その遺志とはうらはらに崩壊しつつあった。
「大方様、お赦しを」
直虎は、祖父にも父にもできなかった「今川への裏切り」を、自らの手で果たそうとしていた。しかしそれは、何か大きな志を持ったものではなく、あくまでも苦肉の策に過ぎなかった。桜の枝を持って戻って来た高瀬が、その直虎の様子を見つめていた。

しかしここで、直虎の予想を覆すことが起こった。それは政次が、今川家から戻った直後のことであった。
「殿、徳川家とのことにございますが」
「何か起こったのか」
「いえ、今後のことについてですが、それがしに関しては」
「そなたに関しては、ということは」
「外していただきとうございます」
直虎は驚いて政次を見つめた。相変わらず黒っぽい素襖に身を包んだこの男は、表情一つ変えず、何やら置物のようにそこに座っていた。
「それがしはあくまでも今川家の目付にございますれば、このまま徳川殿にのうのうと従うわけにも参りませぬ」

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