保室の事件帳

江戸版ホームズ+大河ドラマリメイク。

蜂曽我部家の怪猫 十六

我々は外へ出た。お濠の辺りに大勢の群衆がいて、その彼方に化け猫、須藤古之進の言う張りぼての化け猫がいた。しかし保室の目は別の方向へ向いていた。数人の武士が走り去ろうとするのを、他の数十名の武士が必死に止めていた。
「どうやら筆頭家老が、化け猫のどさくさで逃げ出そうとして失敗したようだな」
我々は望月先生共々、そちらの方に向かった。すると誰か肩を叩く者があった。振り返ると、須藤古之進がそこに立っていた。
「実はあの件がいよいよ明るみに出ましてね、おかげで馬場一味は上を下への大騒ぎですよ」
その数日後お沙汰が下り、筆頭家老の馬場以下数名は切腹、他は謹慎となった。一方城下では、化け猫騒動はどうやら、ご家中のもめごとと関係があったということになり、後は沈静化した。

この騒動から十日ほど経ち、我々は江戸へ戻る準備を始めていたが、その直前に須藤古之進から屋敷に呼ばれた。藩主の縁続きということもあり、どのような屋敷かと思っていたら、意外にこじんまりした住まいで、使用人も六名ほどだった。
「よくおいで下さいました」
須藤はまるで、自分が目下であるかのような口調で我々を出迎えた。
「一度ゆっくりお話をしたかったものですから」
私は庭を眺めた、質素な作りであったが、流石に所々贅が凝らされていて、南蛮渡来の植物と思しき物も植えられていた。須藤は我々に抹茶と干菓子を振舞ってくれた。
「世羅田には気の毒なことをしました。埋葬し直してやりたいと思っています」
そう言って、須藤は傍らの箱から下駄を一足取り出した。
「下駄…」
「そうです。ちょっとそそっかしい男で、一度下駄を片方無くしたことがありました。世羅田が濠から上がった後に出て来て、何か形見のような気がして取っておいたのです。でも一緒に埋めてやろうと思います」

そして、半田梅翁も江戸から戻って来た。私も帰る前の思い出にと、かつて馴染みになった店に連れて行き、そこで酒を振舞った。私がおごるつもりだったのだが、半田がすべての勘定を引き受けてくれ、逆におごられることになった。
「江戸でまさ殿にお礼を渡そうとしたのですが、お断りになったので、こちらで使うことにしました」
半田は薄青地の胴巻を取り出した。
「あずさが縫ってくれたものです。やはり里村藩に帰ることにしたと言ったら、可哀想なくらいしょげていまして…」
半田はちょっとそこで言葉を切り、また続けた。
「でもその翌日、これを餞別にくれたのです」
飲み屋の親父も、化け猫のことはすっかり忘れたような顔をしており、店を出る我々に、またここに来たついでに立ち寄ってくれと声をかけた。
「これでもう、すべてが終わったのかね」
保室は答えた。
「化け猫はもう出ない。しかしもっと別な物が、これからも出て来るのさ」

我々は望月先生に別れの挨拶をして、里村藩を後にした。途中で例の宿の主人に会ったが、例の瀬尾なる人物がまた現れたと、辺りをはばかるかのように小声で教えてくれた。
「かの御仁がまた何かやらかすのかね」
「さあ、あの人は何かやらかしてばかりだからな」
翌日、久々に江戸の土を踏んだ我々は家へと急いだ。鳩さんはいつも通りの笑顔で出迎えてくれた。
「お帰りなさいませ、お疲れ様でした」
「やれやれ、やっとここに帰って来て一安心だ」
保室はそう言って、向こうにいるあずさを手招きした。
「ほら、半田殿からもらった物、和田先生に見せてあげろ」
あすさは髪から桜をあしらった簪を外し、私に見せた。何やらとても嬉しそうな表情だった。

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蜂曽我部家の怪猫 十五

「つまり蘭学者たちの騒動がばれないように、化け猫の張りぼてを仕立てておくと」
「全くその通りじゃ。しかも予め城下に噂をばらまいておき、あたかも化け猫が出るように仕向けておいた」
「しかし森崎殿も、何もご自分でなさらずともよいように思いますが」
「そこがあの人物の怖い所じゃ。かの御仁は自分の本性がばれない限り、いくら間者と見破られても平気な人物であるからのう。そこが他の腹黒き御方とはわけが違う。他の者を仕立てることの恐ろしさを、十分理解しておられるのであろう」

「時に、須藤古之進殿についてお尋ねしたいことがございます」
保室はやや膝を乗り出すようにして、冨楽庵に尋ねた。
「須藤殿のご遺骸は、ご本人のものだったのでしょうか」
瞬間、冨楽庵の表情が動いたように見えたが、また元の表情に戻り、保室の方を向いてこう答えた。
「よう、お気づきなされたな」
「実は、先日からそうではないかと思っておりまして」
私は保室が何を言いたいのか、少しもわからなかった。袖を引っ張ろうとしたが、保室はさらに冨楽庵のそばに近づいたため、いたずらに手が畳の上をこすっただけだった。
「では、お願いがございます。そのお髭をお取りいただきたいのですが」
冨楽庵は髭を取り、背筋を伸ばした。すると、そこには全く違った人物が現れたのである。

「初めまして、須藤古之進様」
「いやいや、よう見抜かれた」と冨楽庵、もとい須藤は言い、私と望月先生の方を向いてこう言った。
「驚かせてすまぬ」
望月先生は、これ以上ないほどの驚いた顔をして、声を上ずらせつつこう言った。
「あなた様が…よもや須藤、古之進様…」
「そういうことだ。私と思われていたのは、私の弟子の世羅田という者だ。この男が早まって自害をしたため、誠にすまぬと思いつつ身代わりになってもらったのだ」
その後須藤古之進は、自分は藩主の従兄であると話し、筆頭家老一味の悪だくみについて話し始めた。蘭学者追い落としはもちろんのこと、若君をも廃嫡し、新たに分家筋から養子を迎えるべく、手を打っていたことも明らかになった。さらにその蘭学者追い落としに力を貸したのが、自身も蘭学経験のある、かの森崎殿ということであった。

「森崎殿も、仲間を討つとは随分なことをなさる」
「和田殿」
須藤古之進は私の方に向き直り、こう言った。
「それは、そなたが真っ当な見方をする人物だからじゃ。あの森崎殿は、我々の物差しでは測れぬ、誠に不思議な人物であるからのう」
我々は一旦、望月先生のお宅に戻った。先生の家で夕食を取りながら、今後どうなるかについて話し合った。須藤古之進が生きていた以上、今後は筆頭家老派が苦しい立場に立たされそうだった。そして化け猫は、もうこれ以上の蘭学者追放は考えられない以上、二度と出ることもないだろうといったことを、酒にまかせてあれこれ話していたところへ、女中が障子を開けた。
「おや、どうした」
「先生、また化け猫が出たようで、ご城下が騒いでいるそうです」

蜂曽我部家の怪猫 十四

冨楽庵は書類を持って来させ、我々にそれを見せた。それには漢詩と思しき物が書かれていた。ただ不思議なのは、ところどころ墨が薄くなっている箇所があることだった。その部分の文字を拾ってみたところ、このようになった。
「若、君、殺、奉、候」
「これは…」私は後を続けようとしてためたった。その後を保室が引き取った。
「若君、殺し奉り候」
冨楽庵は表情を変えずにうなずいた。
「これを書かれたのは、瀬尾殿ですね」
「左様、瀬尾殿、町人の元吉、そしてかの森崎殿じゃ」
「やはり、この事件に絡んでおられましたか」
望月先生は、何が何やらわからないようで、呆気に取られていた。

「森崎殿は、筆頭家老の馬場殿と誼を通じておられた」
「馬場盛昭殿ですね」
「恐らくは…」
「恐らくはとは」
「この里村藩取り潰しの意図があってのことじゃ」
保室は多分そこまでは感づいていたのであろう。大きくうなずき、更に切り出した。
「それで、次席家老の頼奥佐衛門殿と対立することになったわけですか」
「最もじゃ。そのために、次席家老派が優遇していた蘭学者たちが、矢面に立たされることになった」
「それはひどい話でございますな」
望月先生の言葉に、冨楽庵はもっともだという風にうなずいて見せた。

「私はその橋渡しをさせられたのじゃ。当初馬場殿は、あたかもそれが正義であるように私を言いくるめた。しかし、段々とそれが怪しいことに気づいて来た」
「怪しいと仰いますと、それは森崎殿が絡んで来たのに気づかれたからでしょうか」
「それもあるが、その時はまだ正体がわからなかった、元吉なる町人が、しきりと馬場殿と会っていたことじゃ。里村藩は小藩だが、筆頭家老と町人がじかに会うことなどまずない」
「だから、元吉は今度は瀬尾になりすましたと」
「そういうことじゃ」

「一つ伺ってもよろしいでしょうか」私は口を挟んだ。
「構わぬ。どういうことじゃ」
「その元吉が森崎殿であったのなら、町人に化ける理由とは何だったのでございましょう」
「よう気づいた」
冨楽庵は持っていた扇で、畳をぴしゃりと叩いた。
「それは、江戸の見世物小屋の主と取引をするためじゃ。これでことの次第が、大体わかったであろう。見世物小屋の化け猫が、どうしても必要だったのじゃ」
保室は我が意を得たりという顔をしたが、私と望月先生はあっけに取られていた。

蜂曽我部家の怪猫 十三

旅籠の主人は宿帳を調べてくれ、例の行商人の名前と、どこから来た者であるかを突き止めてくれたのである。
「名前は小戸屋元吉、江戸からのお客様です」
「小戸屋元吉か…そのような店は聞いたことがないな。偽名かも知れないな」
「実は、私もそう思っております」
「また、それはどうしてだい」
「実はこの方にそっくりな方が、先日お見えになりまして、実はその時の格好はお武家様でした」
私と保室は顔を見合わせた。

「その、武士の方の名前は何というんだ」
「瀬尾平左衛門様とお書きになりました」
我々はその旅籠へ急いだ。宿帳にある元吉と瀬尾の文字は、どう見ても同じ人間が書いたとしか思えなかった。
「どうやらこの二人は同一人物のようだな。ご主人、この瀬尾なにがしの歩き方に何か特徴はなかったか。どちらかの足を引くとか」
「いえ、しごく普通に歩いておられましたが」
保室は満足そうな表情になり、片手で顎をなでた。

望月先生のお宅へ戻る途中、保室はこう言った。
「元々は武士で、行商人に変装していたということになるのか」
「しかし、なぜこうすぐに足のつくようなことをするんだ。もうちょっとうまく変装すればいいのに」
「同一人物だとわからせたいのかもしれないな、相手は」
「どういうことだ、よくわからない」
「まあ、そう遠くないうちにすべてがわかるさ」
保室は自信満々だった。

その夜、保室は一人でかがみ込むような姿勢を取っていたかと思うと、障子を開け、外を眺めた。同じ動作を三回ほど繰り返してから、出し抜けに私に話しかけた。
「恐らくこういうことだろう」
そう言って、彼は私の前にかがみ込んだ。
「化け猫騒動は蘭学者追放のかくれみの、これは間違いなさそうだ。そのために、この元吉と瀬尾を名乗る同一人物が暗躍していた」
さらに、彼は私の顔をのぞき込み、手を合わせてこう言った。
「実は、もう一度冨楽庵殿にお会いして、伺っておきたいことがある。望月先生を通して、頼んではくれまいか」

望月先生の許可を得られ、翌日私たち三人は、再び冨楽庵殿の屋敷に向かった。先生がしばらく薬の話をした後、保室が再度質問をした。しかしその内容は、思いがけないものだった。
「冨楽庵様、申し訳ないのですが、昨日懐に入れておかれた文書、あれを見せていただけないでしょうか」
「左様な物は、持ってはおらぬが」
「いえ、先日貴方様は懐紙を取ろうとして、うっかりその文書を取り出そうとなさいました。私はそれが何であるのか、気になっていたのです。それさえ見せていただければ、蘭学者の件も、須藤殿の件も多分わかると思いますので」

蜂曽我部家の怪猫 十二

翌日、保室は茶人か歌の師匠といった格好をしていた。私にも変装を勧めたが、私は彼のように、変装した人物そのものになりすますことが得意ではなく。そのまま出かけることにした。我々は再び城の近くに行き、そこで辺りを見回した。保室は、須藤古之進が溺死したことにやけにこだわっていた。なぜ須藤のみが溺死したのか、それを探れば、この奇怪な事件の全容が見えてくると言うのである。

「須藤は結局殺されたんだ、単なる溺死じゃない」
「見せしめのためか」
「いや、見せしめのためなら他にも殺されているはずだ。要は、次席家老派や蘭学者たちを脅すための、人身御供だったと言ってもいい」
「しかし、蘭学者を殺すことで、次席家老派をそこまで脅せるのものかね」
「いや、どうもこの御仁は単なる蘭学者じゃないかもしれない」
「どういうことだ」

「昨日のあの老人の言葉に、どこか不自然さがあったのに気づいたか」
「冨楽庵か。いや、よく暴露してくれたと思ったが」
「確かに色々話してくれた。しかし冨楽庵は、須藤が急に行方が知れなくなったと言った。その後、お濠から溺死体が上がった」
「確かにそうだが、それが何かおかしいのか」
「半田梅翁も、何かで不審な死を遂げたと言っていた。須藤の死はあちこちに知らされ、しかも筆頭家老に反対する人たちが、いとも簡単に知ることができた。むしろ、率先して彼らに知らせているとも言えた。それはなぜか」
「蘭学者たちを脅すためだろう」
「それもそうだが、もう一つ理由がある。須藤は蘭学者のみならず、次席家老にも、あるいは若君にもかけがえのない存在で、彼らを脅すことこそが、かの人物を殺す理由だったのだ」

「よく考えてみろ」
保室はいつもの口調で、自らの推理を話し始めた。
「たかだか一介の蘭学者なら、追い出すだけでいい。殺すなどという強硬手段に出れば、里村藩、蜂曽我部家の名前そのものに傷がつきかねない。問題は、なぜ殺されなければならなかったかだ。大きな影響力を持つ人物だからに他ならない」
「では、須藤古之進は何者なのだ」
「俺の推測だが、藩主一族と関係のある人物だろう」

保室は持っている杖を高く上げ、城の方角を指した。
「恐らく城中で失踪したという噂をばらまかれたが、須藤はどこかに監禁されていたと見える。その後殺され、遺体が濠に何者かの手によって投げ込まれた。恐らくその直後に、半田が仕えるようになったのだろう。その後部屋の床下に、妙な物があるのに気が付いた。多分他の蘭学者たちも、同じような嫌がらせをされていたのだろう」
「では、昨日の御老人が言っていた化け猫との関係、あれはどうなんだ」
「これも里村藩の名を落とすための手段だろう。これは帰ってからじっくり考える予定だがね」

我々は帰途についたが、その時、かなり前に顔を合わせた旅籠の主人とばったり出会った。というよりも、向こうから声をかけて来たのだった。
「よく私だとわかったな」
「私どもは、お客様の顔を覚えるのが商売ですので」
やはり変装しないでよかったと思った私に、次の瞬間思いがけない言葉が飛び込んで来た。
「あの行商人の身元がわかりましたよ」