保室の事件帳

江戸版ホームズ+大河ドラマリメイク。

朱文字の謎 三

私は二人で一緒に部屋を借りるのかと思っていたのだが、実はそうではなかった。既にこの保室は入居を済ませた状態で、部屋が多すぎるから他にもう一人探していたのである。そして梅渓先生のお宅に間借りしていた私に、白羽の矢が立ったというわけだった。
「そこはどなたのお宅なのでしょうか」
「かつて南町奉行所の同心を勤められた、鳩村左門殿のお内儀でまさ殿です」
私は首をひねった。同心の役宅を人に貸すなど、聞いたことがなかったからである。しかし佐藤の話を聞いて行くうちに、そのまさ殿の従兄が町人となって商いをしていたこと、そのため家を持っており、夫に死に別れて未亡人となったまさ殿が、そこに住むようになったといういきさつだった。しかしまさ殿と下男、女中だけでは広すぎるため、間借り人を置きたいが、何分女の一人暮らしゆえ、あまり危険な人物は置きたくないということだった。
「私はこんな男だが、危険とは見られなかったようだ」
保室はそう言って出された茶を啜った。

翌日その家を見に行った私は、まさ殿に案内されて、既に保室が暮らしている部屋をまず見た。保室は照れ臭そうにしつつも、自慢げに書斎を見せた。本やら薬やら、あるいは西洋の品々と思われる物もいくつがあったが、それだけの物を並べていても、八畳ほどの部屋ではまだ空きがあった。私はそこを、自分の書見の場にしようと思った。さらにその部屋に付随するような形で小さな座敷があった。ここは、保室がもっぱら使っているらしい。
それからその座敷と同じほどの間取りの部屋が二つあった。ここは寝間として使われていて、私はもう一つの部屋を占領できることになった。
「布団は女中のあずさに敷かせますから」
まさ殿はそう言ったが、梅渓先生のお宅に居候していた身としては、自分で敷いても特に問題ないと思った。一風変わった間取りではあるが、何でもまさ殿の従兄が多趣味な人物であり、自分一人で籠ることができるように、このような空間を作らせたらしい。しかしその人物は、店の近くに風流な庵を作らせ、息子に店を譲って隠居生活を楽しんでいるようだった。そのようないきさつもあり、我々がここに住むことになったわけである。

私は転居のための荷造りを始めた。荷造りと言っても行李が2つほど、机と座布団、そして書棚といったたぐいの物である。荷造りをあらかた済ませた後で、ぼんやり外を見ていると、梅渓先生が入って来られた。
「いよいよ明日が引っ越しか」
「はい、先生には長い間お世話になりました」
「確か梅花町だったな」
「はい、ここから二丁ほどですので十分に通えます」
先生は、新しい同居人とうまくやりなさいと肩を叩いて出て行かれた。そして翌日佐藤が手伝いに来てくれ、我々は家財道具を新居に運んだ。運び終わった後、部屋の雑巾がけをしていたら、あの保室という男に対する興味が湧き起こって来た。これからはあの人物をゆっくり観察できる、それが何か楽しみのように思えて来た。

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朱文字の謎 二

その男はむしろをかぶった遺体のあちこちを、念入りにというか、執拗なまでに調べまくっていた。そばにいた同心が、目をそむけてしまうほどで、この男に取っては、一人の男の遺体を調べまくることが使命のようなものなのだろう。
やがて調べ終わったのか、そのまま井戸端に行って手を洗い、こちらに戻って来た。背の高さ六尺ほどもある長身で、しかも無駄な肉というものがなかった。
「やはりこの男、病死じゃなくて殺しだよ源さん。紫のあざがあるから砒素を盛られたに違いない」
そこへ佐藤が恐る恐る近づき、私が来ていることをその男に告げた。両の目が大きくこちらを向き、私までもが調べられかねないように思えた。
「保室紗鹿といいます」
意外に冴えわたる、大きな声だった。体の細い男にしばしばありがちな、優しげな声ではなかった。
「和田順庵と申します。この度はこの男より話を聞きまして」
「部屋のことですね、少々お待ちを」
保室は襷を外して向こうへ行こうとし、瞬間引き返そうとしたが、また向こうへ行って衣服を直してから戻って来た。

その後保室が戻って来たが、肝心の部屋の話には触れようとせず、開口一番こう言った。
「あなたは医者、それも蘭方医ですね」
私は自分のことについて、もちろんまだ何も話していなかった。佐藤に教えたのかと訊いたが、首を横に振っていた。
「そして左の脚が少しお悪い」
あっけに取られている私に、保室は照れたような評定を浮かべてこう言った。
「いやどうぞお気を悪くなさらずに。このようなことをしていると、あれやこれや些細なことが気になるものでして」
私はうなずき、佐藤は部屋のことについて保室に切り出した。保室は研究生活の傍ら、時折南町奉行所に協力し、遺体の死因を調べているようであった。しかし実際にやっていたのは、それだけではなかったのである。

しかしその時、例の同心がまたやって来た。もう一つ急な頼みごとができたと言う。保室は行ってもいいかと許可を求め、我々もそれに応じた。
保室が去った後、私は佐藤に言った。
「なかなかよさそうな人物だな」
「いえ、実は結構変わった方でもあるのですよ」
「変わった方」
「ええ、一度やはり遺体の検分に来て頂きましてね。何を思ったのか、六尺棒を持って来させてびしびし叩いたのです。我々一同驚きました」
「遺体を叩いたのか」
「それによって得られる反応を見たいからということでしたが、あれには参りました」
我々が茶を啜りながらそのような話をしていると、保室が慌ただしく戻って来て、お待たせ致したと声をかけた。

朱文字の謎 一

そもそも私は、なぜ保室紗鹿と知り合ったのか。

かつて医師を志していた私は、まず江戸で蘭学を学び、その後長崎へ行った。長崎ではシーボルト先生の鳴滝塾にわずかながら滞在したが、その時一風変わった男がいるのに気がついた。蘭学を学ぼうとする人物には、風変わりな者もいるにはいたが、その男は学問一筋でもなく、医師となって名声を高めようというのでもなく、講義と関係ない、そのくせかなり難しそうな文法やら数式やらに、一人で打ち込むようなところがあった。

その後私は江戸へ戻り、蘭学を最初に学んだ梅渓先生のお宅で、住み込みで代診を行うことになった。しかしその直後、私は蘭学を快く思わない者から、辻斬りに遭うはめになる。私も武道の心得はあったため、相手が刀を振り下ろそうとした時にとっさに除け、左脚を負傷しただけですんだ。しかしこの左脚の治療に数か月かかり、その間仕事もできずに、先生のお宅に厄介になり続けていた。その間、さらにもう一人先生の弟子が入ると聞き、そこそこの広さのある先生のお宅も、いささか手狭になりかけていた。そこでどこか部屋を借り、そこから通うという方法を採ろうと考えるようになっていた。

そんな頃、やはり梅渓先生の門下で、梅渓先生の友人の蘭方医の許にいる後輩に、久々に会った。その後輩、佐藤と話しているうちに、ある人物が部屋を借りようとしているから、一緒に住んではどうかと勧められた。ただし少々変わり者であると前置きをしたうえで、さっそくその人物に会いに行くことになった。私はてっきり佐藤の家か、あるいはその人物が今住んでいる家に行くのかと思っていたが、向かっている先は番屋だった。そこである男の遺体を調べているのだと言う。のっけからこれは妙な出会いになりそうだった。

その番屋に入った時、何か懐かしい匂いが私の鼻腔をくすぐった。恐らくはその人物が所持している薬品の匂いであろう。番屋の奥にその遺体があり、背のひょろ高い男がその遺体を検分していた。

蜂曽我部家の怪猫 十六

我々は外へ出た。お濠の辺りに大勢の群衆がいて、その彼方に化け猫、須藤古之進の言う張りぼての化け猫がいた。しかし保室の目は別の方向へ向いていた。数人の武士が走り去ろうとするのを、他の数十名の武士が必死に止めていた。
「どうやら筆頭家老が、化け猫のどさくさで逃げ出そうとして失敗したようだな」
我々は望月先生共々、そちらの方に向かった。すると誰か肩を叩く者があった。振り返ると、須藤古之進がそこに立っていた。
「実はあの件がいよいよ明るみに出ましてね、おかげで馬場一味は上を下への大騒ぎですよ」
その数日後お沙汰が下り、筆頭家老の馬場以下数名は切腹、他は謹慎となった。一方城下では、化け猫騒動はどうやら、ご家中のもめごとと関係があったということになり、後は沈静化した。

この騒動から十日ほど経ち、我々は江戸へ戻る準備を始めていたが、その直前に須藤古之進から屋敷に呼ばれた。藩主の縁続きということもあり、どのような屋敷かと思っていたら、意外にこじんまりした住まいで、使用人も六名ほどだった。
「よくおいで下さいました」
須藤はまるで、自分が目下であるかのような口調で我々を出迎えた。
「一度ゆっくりお話をしたかったものですから」
私は庭を眺めた、質素な作りであったが、流石に所々贅が凝らされていて、南蛮渡来の植物と思しき物も植えられていた。須藤は我々に抹茶と干菓子を振舞ってくれた。
「世羅田には気の毒なことをしました。埋葬し直してやりたいと思っています」
そう言って、須藤は傍らの箱から下駄を一足取り出した。
「下駄…」
「そうです。ちょっとそそっかしい男で、一度下駄を片方無くしたことがありました。世羅田が濠から上がった後に出て来て、何か形見のような気がして取っておいたのです。でも一緒に埋めてやろうと思います」

そして、半田梅翁も江戸から戻って来た。私も帰る前の思い出にと、かつて馴染みになった店に連れて行き、そこで酒を振舞った。私がおごるつもりだったのだが、半田がすべての勘定を引き受けてくれ、逆におごられることになった。
「江戸でまさ殿にお礼を渡そうとしたのですが、お断りになったので、こちらで使うことにしました」
半田は薄青地の胴巻を取り出した。
「あずさが縫ってくれたものです。やはり里村藩に帰ることにしたと言ったら、可哀想なくらいしょげていまして…」
半田はちょっとそこで言葉を切り、また続けた。
「でもその翌日、これを餞別にくれたのです」
飲み屋の親父も、化け猫のことはすっかり忘れたような顔をしており、店を出る我々に、またここに来たついでに立ち寄ってくれと声をかけた。
「これでもう、すべてが終わったのかね」
保室は答えた。
「化け猫はもう出ない。しかしもっと別な物が、これからも出て来るのさ」

我々は望月先生に別れの挨拶をして、里村藩を後にした。途中で例の宿の主人に会ったが、例の瀬尾なる人物がまた現れたと、辺りをはばかるかのように小声で教えてくれた。
「かの御仁がまた何かやらかすのかね」
「さあ、あの人は何かやらかしてばかりだからな」
翌日、久々に江戸の土を踏んだ我々は家へと急いだ。鳩さんはいつも通りの笑顔で出迎えてくれた。
「お帰りなさいませ、お疲れ様でした」
「やれやれ、やっとここに帰って来て一安心だ」
保室はそう言って、向こうにいるあずさを手招きした。
「ほら、半田殿からもらった物、和田先生に見せてあげろ」
あすさは髪から桜をあしらった簪を外し、私に見せた。何やらとても嬉しそうな表情だった。

蜂曽我部家の怪猫 十五

「つまり蘭学者たちの騒動がばれないように、化け猫の張りぼてを仕立てておくと」
「全くその通りじゃ。しかも予め城下に噂をばらまいておき、あたかも化け猫が出るように仕向けておいた」
「しかし森崎殿も、何もご自分でなさらずともよいように思いますが」
「そこがあの人物の怖い所じゃ。かの御仁は自分の本性がばれない限り、いくら間者と見破られても平気な人物であるからのう。そこが他の腹黒き御方とはわけが違う。他の者を仕立てることの恐ろしさを、十分理解しておられるのであろう」

「時に、須藤古之進殿についてお尋ねしたいことがございます」
保室はやや膝を乗り出すようにして、冨楽庵に尋ねた。
「須藤殿のご遺骸は、ご本人のものだったのでしょうか」
瞬間、冨楽庵の表情が動いたように見えたが、また元の表情に戻り、保室の方を向いてこう答えた。
「よう、お気づきなされたな」
「実は、先日からそうではないかと思っておりまして」
私は保室が何を言いたいのか、少しもわからなかった。袖を引っ張ろうとしたが、保室はさらに冨楽庵のそばに近づいたため、いたずらに手が畳の上をこすっただけだった。
「では、お願いがございます。そのお髭をお取りいただきたいのですが」
冨楽庵は髭を取り、背筋を伸ばした。すると、そこには全く違った人物が現れたのである。

「初めまして、須藤古之進様」
「いやいや、よう見抜かれた」と冨楽庵、もとい須藤は言い、私と望月先生の方を向いてこう言った。
「驚かせてすまぬ」
望月先生は、これ以上ないほどの驚いた顔をして、声を上ずらせつつこう言った。
「あなた様が…よもや須藤、古之進様…」
「そういうことだ。私と思われていたのは、私の弟子の世羅田という者だ。この男が早まって自害をしたため、誠にすまぬと思いつつ身代わりになってもらったのだ」
その後須藤古之進は、自分は藩主の従兄であると話し、筆頭家老一味の悪だくみについて話し始めた。蘭学者追い落としはもちろんのこと、若君をも廃嫡し、新たに分家筋から養子を迎えるべく、手を打っていたことも明らかになった。さらにその蘭学者追い落としに力を貸したのが、自身も蘭学経験のある、かの森崎殿ということであった。

「森崎殿も、仲間を討つとは随分なことをなさる」
「和田殿」
須藤古之進は私の方に向き直り、こう言った。
「それは、そなたが真っ当な見方をする人物だからじゃ。あの森崎殿は、我々の物差しでは測れぬ、誠に不思議な人物であるからのう」
我々は一旦、望月先生のお宅に戻った。先生の家で夕食を取りながら、今後どうなるかについて話し合った。須藤古之進が生きていた以上、今後は筆頭家老派が苦しい立場に立たされそうだった。そして化け猫は、もうこれ以上の蘭学者追放は考えられない以上、二度と出ることもないだろうといったことを、酒にまかせてあれこれ話していたところへ、女中が障子を開けた。
「おや、どうした」
「先生、また化け猫が出たようで、ご城下が騒いでいるそうです」