保室の事件帳

江戸版ホームズ+大河ドラマリメイク。

Home > 2016年05月

黒子組合 ニ

ここで自己紹介しておくが、私の名は和田順庵という。保室と暮らし始めてもう半年になる。どうやって知り合ったのかはまた別の機会にゆずるとするが、この人物は何とも風変わりで、何日も放心状態になっているかと思えば、いざ事件解決になると切れが鋭く、しかも見方も確かで、どのような頭の構造をしているのか、彼にあれこれ事件を持ち込んでくる南町奉行所の同心、須田源一郎と常々噂している。その保室は何か考えるようなそぶりをしながら、善兵衛の話を聞いていた。

善兵衛はまず、面談の会場に行ってみたところ、そこは既に顔や首筋に黒子のある男たちで一杯だった。二朱(約12,000円)という報酬も魅力なのだろう。とても自分の出る幕ではないと思い、帰りかけたところを、浪人者のような侍に呼び止められた。
「もし、もうお帰りですか。せめて話でも」
「いえ、このように見事な黒子の方が大勢おられるのですから、私はもうこれで」
「そうおっしゃらずに是非」

結局半時ほど待った後、善兵衛の番になった。入って着座するなり、先ほどの侍が「ちょっと失礼」と声をかけるやいなや、水で絞った手拭いで善兵衛の顔をぬぐった。
「驚きましたよ、急に冷たい物が顔に押し当てられて、何事かと思いました」
それは、黒子が偽物でないかどうかを見分けるためだった。その日だけでも三人ほど、墨で偽の黒子を描いていた不届き者がいたという。その後座布団の前に文机を置かれ、ある歌集の歌を書き写すようにいわれた。
「仕事で文字を書くことは度々でしたが、そううまい方でもなくて、焦りましたなあれは」

その後例の侍と、この組合の主宰と思しき男との間で何やら話をしていたが、その男が善兵衛の方を向いて、笑顔でこう叫んだ。
「おめでとうございます、今回はあなたに決定しました」
それを聞いた善兵衛は、驚きのあまり座布団から滑り落ちそうになった。自分の後にも十何人かまだ待っているのに、こんなことで決めていいのだろうか。しかしその男は、次の間で待っていた面々に、既に決定したことを告げ、その者達は不服そうに帰宅の準備を始めた。

その組合の主宰者ももちろん、額に見事な黒子があった。倉木屋という材木問屋の倅で、雅号を慈桜(じおう)といい、本来は婿養子に行くはずだったのが、昔から歌集を読むのが大好きで、歌が縁で知り合った団六蔵という侍と黒子組合を結成し、人を集めては、歌詠みや吟行をしているのだという。実家が裕福なため、資金を出してもらい、それを元にこの組合を運営しているのだった。普段は子供たち相手に歌を教え、ささやかながら束脩(月謝)を取って、それで自適しているらしい。
「団殿も黒子がおありなのでしょうか?」
「ありますが、拙者のは丹田の下にあるもので、恥ずかしながらこの場では…」
一同和やかな笑いに包まれ、その二日後から歌集の写本の仕事が始まった。時間は巳の刻から未の刻まで、五日間通って一日休み、そして報酬は五日間で二朱だから、結構いい副業である。

紙と墨は用意してくれたが、筆だけは自分の使っている物を持ってくるようにいわれ、それからというものの、善兵衛は気に入りの筆を数本持って、慈桜から指定された家の一室に通うようになった。報酬は五日目に渡されていた。そして半月ほど経った頃、仕事がきちんとしていて速いという理由から、四日通って二日休みとなり、報酬も百文上乗せされた(注・約15,000円)。これで孫たちとも遊べるようになり、善兵衛は、前にも増して張り切って仕事に通うようになった。

その時、保室が声を掛けた。
「善兵衛さん、あなたは写本の間外に出ましたか。たとえば気晴らしにとか」
「いえ、私は出ないようにいわれておりました。初日は慈桜殿が色々教えてくれましたが、二日目からは一人きりで、時々年の頃四十ほどの女中が、茶を差し入れてくれました。またいつも娘が作ってくれた握り飯を持参しておりましたので、その必要は全く…」
「わかりました、続けてください」
「実はおととい行ってみたところ、扉が閉まっているのです。辺りを見回したところ、例の女中がいたので訊いてみたのですが、なんと黒子連盟はその日で終わったというのです」
スポンサーサイト

黒子組合 一

その日も梅渓先生のお宅から、梅花町の家に戻って来た。梅渓先生とは私の蘭学の師で、長崎留学を勧めてくれた人でもあり、私はその先生のところで代診を務めていた。家の近くまで帰り着くと、また例の三毛猫がこちらを向いている。私はあまり猫好きではないのだが、この家の女主人、鳩村まさ殿が大の猫好きで、この家の回りには、いつも数匹の猫がいるのが当たり前になっていた。

私はまず家の戸口を開け、鳩さんに挨拶してから部屋の方へ向かった。鳩さんというのは鳩村まさ殿のことで、最初はまさ殿と呼んでいたが、私の相方が鳩さん鳩さんと呼ぶのを聞いているうちに、いつの間にか鳩さんと呼ぶようになっていた。
「まあ先生、お帰りなさいませ。」
「今戻りました。今日はどうですか、また客人が来てますか」
「生憎お客様ですよ。でも商家の大旦那風でよさそうな感じの方です」

私の相方は保室といい、自称学者だが、様々な知識を活かして、奉行所の下手人捜索の手伝いをしていた。保室に直接依頼してくる人々もいて、私たちの部屋は、そのような客がよく訪れていたのだった。部屋といっても、共用の書斎と小さな座敷、それぞれの居室のささやかな所帯である。座敷を覗いてみると、案の定、如何にも大店の隠居風な人物がいて、保室と話をしていた。

保室も私がいることに気付いて、こちらに来るように誘い、私は履物を脱いで座敷に上がった。その隠居風の老人は善兵衛といい、黒子組合なるものに誘われて、歌集の写本を作る仕事をしていたが、ある日突然その仕事を打ち切られてしまったのである。
「黒子組合?そんなものがあるのですか」
「それが、うちの娘婿が一月ほど前、急にその話を持って来ましてな」

何でもその黒子組合というのは、顔か首に、ある一定以上の大きさの黒子のある者しか入れないらしい。その善兵衛も、右頬に見事な黒子があり、そのため娘婿から黒子組合なる物に参加するよう、持ちかけられたということだった。今は、店の切り盛りはその娘婿と信用のおける番頭にまかせていたため、暇のあった善兵衛は、悪くないと思ってその話に乗ったのだった。