保室の事件帳

江戸版ホームズ+大河ドラマリメイク。なお「蜂曽我部家の怪猫」については、大河リメイクの「跡を継ぐ者」が終わり次第アップ予定です。

直虎と呼ばれた女 次郎法師誕生 一

今川家から下知が来る前に、直盛はかなり悩んでいた。下手をすれば領地召し上げ、あるいはそこまで行かずとも、ひさを、今川家に差し出すことになるかもしれないと覚悟していたのである。娘を今川家に差し出すのは、既に叔母の佐奈の例があった。憎き今川に娘を差し出すとはと渋る祖父の直平を、一同やっとの思いで説得し、義元の側女にしたのである。しかしその後佐奈は、今川家の養女ということになり、家臣の関口親永に嫁して子を儲けていた。

しかしひさは一人娘であった。この娘を今川に差し出せば、今後井伊は今川家の一家臣となるだろう。国人領主として、今川とほどよい距離を保つことこそが、直盛の理想だった。そのために、今川家家臣の新野家から妻をもらい、今川家の下知にも従って来た。しかし直平や、中野、奥山といった親類衆の家臣たちには、今川は諸悪の権化のように映るらしく、何かにつけて今川に対する反撃の姿勢を見せた。これは今川に限らず、武田などでも似たようなものであったが、聞く耳を持とうとせず、直盛は手を焼いていた。

そのため直盛は、今川のことを話す時は、お千佳の兄である新野左馬助親矩を頼りにしていた。彼も目付で今川の家臣であり、第三者として適切な意見を述べることができたからである。しかし新野を頼りにしていると、今度は中野や奥山の機嫌が悪かった。中野や奥山、あるいは直平は、和泉守とは違って、人当たりがよく寡黙な新野とはいい関係にあったが、井伊家の今後を決めるのに、新野ばかりを頼る直盛の姿勢が気に入らなかったのである。

直満、そして直義が処刑された件で、直平や中野、奥山はさらに今川への憎悪をつのらせた。しかし直満と直義の首が戻って来たころ、直盛は家人から、直満が謀反を企てていたらしいという話も聞いていた。直満の屋敷によく出入りしていた間者と思しき男が、その頃直満と何か話していたという噂も耳にしていた。無論実際にこれを見たのは直盛ではなく、行商人に変装して井伊谷をうろついていた清蔵だった。この清蔵は、井伊家の忍びとしての役目を負っていた。

つまりこれは小野和泉守の讒言でもあるが、直満も謀反を起こしかけていたらしいこと、それについて和泉守が今川に報告し、今川家が直満に申し開きをさせようとしたこと、しかし直満が口を割らず、逆に今川家臣に対して斬りつけようとし、直義も助太刀したため、やむをえず成敗されたというのが正しいといえた。しかしそれを祖父や親類衆にありのままの形で伝えるのは、かなり困難であり、双方を納得させるために、直盛はまず新野を駿府に向かわせること、そして惣領家の娘であるひさに、初めて今川館を訪問させることにした。

ひさは父からそのことを、神妙な面持ちで聞いていた。話が一旦終わったところで、ひさは父に向ってこのように言った。
「父上、ならば私は尼様になり、井伊を守りとうございます。今川家にお嫁に行かずともすみますし、大爺様も納得されるでしょう」
ひさの後ろに控えていたとよが、慌ててそれを止めようとしたが、ひさは構わずに話し続けた。まさか主人の直盛に、それを真顔で言うとは思っていなかったのである。直盛はとよを制し、ひさに言った。
「そなたがいいと考えることであれば、太守様にそれを申し上げるがよかろう」

スポンサーサイト

蜂曽我部家の怪猫 十一

保室は何やら納得したような顔をして、さらに冨楽庵に尋ねた。
「では、化け猫騒動は、蘭学者の失踪と何か関わりでも」
「大ありじゃ」
冨楽庵はそこで声をひそめ、辺りをはばかるようにして言った。
「そもそも化け猫、怪猫などはおらぬ」

保室はますます、我が意を得たりという顔になった。
「蘭学者が消えたのは、つまり化け猫のせいにしたかった…」
「そなたはよく見ておられるようじゃのう」
今度は私の方が、わけがわからなくなって来た。
「つまりこちらの御城下の化け猫騒動は、かくれみの…」

冨楽庵はさらに声をひそめ、我々にこう伝えた。
「これ以上のことは、相すまぬが、そなたたちの耳に入れるわけには行かぬ。ただし、御家老の一派が仕組んでいることは、これは事実である」
「承知いたしました」
保室はうなずき、そして冨楽庵に尋ねた。
「貴方様も、恐らくはその御家老とお近づきがあったとお見受けします」
冨楽庵は声には出さなかったが、黙って二度ほどうなずいた。

「一体どういうことなんだよ、やはり化け猫は蘭学者殺しと関係あったのか」
「声が大きい」保室が私をたしなめた。
「和田先生、あんたは普段は慎重だが、興奮すると声が大きくなる。悪い癖だ、やめた方がいい」

我々は望月先生のお宅に戻った。夜が更けていたが、女中が二人分の夕餉を整えて待っていてくれた。保室はうまそうに平らげていたが、私はかの冨楽庵から、蘭学者殺しと化け猫騒動の関係をはっきり肯定されたことが、逆にすっきりしなかった。保室が飯をかきこみながら言った。
「順庵先生、きちんと飯は入れておいた方がいいぜ。明日もまた出かけることになる。明日は、変装して行くことになるからな」

直虎と呼ばれた女 序章二

この当時、天文年間の中期ともいえる1540年前後は、何かと慌ただしい時期でもあった。井伊家が今川家の先代、今川氏親によりその配下に組み込まれてから、既に何十年も経っていたが、今川と井伊の関係は、必ずしもうまく行っているわけでもなかった。また今川家周辺では、尾張の織田が三河に攻め込み、武田や北条は領地の獲得に余念がなかった。父直盛や家臣たちは、そのような様子に気づいてはいたが、天文十三年に数えの十歳を迎えたひさは、そのような動きを知る由もなかった。

そんなひさの身辺に、ある異変が起こった。ことの発端は、大叔父で、しかも亀之丞の父である井伊直満と、その弟の直義が駿河に呼び出され、その場で命を絶たれたことだった。父の帰還を待っていた亀之丞は、戻って来た首桶に呆然となり、言葉を失っていた。その後、とよから止められたにも関わらず、直満の屋敷をこっそり見に行ったひさは、一人で父と叔父の首桶と向き合っている亀之丞、そしてその側にいる龍潭寺住職、南渓瑞聞を目にした。

しかし直満の屋敷の家人から入るのを止められ、ひさは仕方なく引き返した。その時、今度は同じ家人の罵声が聞こえて来た。鶴丸も様子を心配してやって来たのである。この件は小野和泉守が、二人が謀反を起こそうとしたという讒言が引き金といわれ、家人はこの小野の息子に、情け容赦のない言葉を浴びせた。そのまま戻って行く鶴丸をひさは追った。鶴丸はひさを見たが、何も話したくなさそうにそのまま戻って行った。ひさはその時、初めて鶴丸を不憫に思った。

直満と直義は罪人ということもあり、法要は近親者だけでひそやかに営まれた。また、井伊家の墓地に埋葬することも許されない状態だった。そして亀之丞は、罪人の息子として追われる身となり、井伊家としても、ひさと将来的に夫婦とするのを、見送らざるを得なくなっていた。そして直盛は、南渓のつてを使って、亀之丞を逃がすことにした。ひさには何も知らされていなかった。そして亀之丞が姿をくらませた翌日、ひさは両親に呼び出された。

亀之丞がいなくなったこと、いつ帰れるかわからないこと、そして、将来の夫婦としての約束が反故になったことを知り、ひさはかなりの衝撃を受けた。直盛は亀之丞の手紙をひさに渡したが、それを読んでいる途中で、ひさはとめどもなく涙をこぼした。泣いているのはひさだけではなかった。母のお千佳も涙ぐみ、乳母のとよは声を上げて泣いていた。直盛も目頭を押さえていた。予期せぬ事態に、井伊家は揺れた。

今川家から出頭するようにとの下知が届いたのは、その数日後のことだった。

直虎と呼ばれた女 序章一

その娘の名はひさといった。漢字で書くと寿。遠州の小領主、井伊直盛とその正室お千佳の一人娘だった。お千佳にはその後子が生まれず、家臣は直盛に、側室を置くように勧めた。しかしその当時、既に井伊家の所領は今川家に組み込まれており、その中でささやかな領地を安堵してもらっている状態だった。側室をとなると、当然今川の縁筋の者を紹介されるに違いなかった。直盛は、ひさに婿を取らせるつもりでいた。

婿にと決めていたのは、叔父直満の子、つまり直盛の従弟であったが、親子ほども年齢が違っていた。ならばということで直盛は、この子亀之丞を、ひさと目合わせるつもりでいた。井伊家の所領は小規模で、しかも今川に伺いを立てないと、何もできないような状態ではあった。

しかし今川に与しているために、武田や北条から守られていることも事実だった。今川家からは、目付役として小野政直が仕えていた。直盛は、この男の神経質そうな表情が苦手だったが、実務という点では、他の家臣が束になってもかなわないところがあった。

この政直にも、ひさや亀之丞とあまり年齢の変わらない息子がいた。名を鶴丸といった。ひさは亀之丞と遊ぶことはあったが、鶴丸とはさほどに親しくなかった。しかし亀之丞は、男の子同士ともいうこともあり、よく木登りをしたり、村の子供たちと鬼ごっこをしたりして遊んでいた。

どちらかといえばおっとりしていて、気の弱そうな亀之丞と違い、鶴丸は聡明な感じで頭が切れ、やや理屈っぽく、そういう点でもひさは、鶴丸を遠ざけがちになっていた。ひさは外に出るのも好きな反面、部屋に一日籠ることもあり、将来は尼様になりたいなど、両親の思惑も知らずに、乳母のとよを相手に話したりもしていた。

蜂曽我部家の怪猫 十

我々は一旦、望月先生のお宅へ戻った。珍しく酒を酌み交わし、半田梅翁のことなどを話しているうちに、夜も更け、保室は私があてがわれている部屋の隣の、三畳間でその夜を過ごした。保室が寝ないで起きているのは、隣室の私にもわかった、しょっちゅう窓の障子を開け閉めしては、何かを考えているようだった。

その後私と保室は、あれこれ話し込んだり、外へ出て城の周辺を回ったりして日を過ごした。何となく見えて来るものはあったが、これといった決め手に欠け、保室はひどくそれを悔しがっているようにも見えた。やがて、望月先生のかつての菅家で、城中のことをよく知るという人物に会えることになった。

その人物は既に七十に達するかという外見で、本名は明かさなかったが、冨楽庵という雅号を名乗り、何でも聞いて構わないとかなり乗り気だった。保室はまず、半田から聞いていたこととして、須藤古之進の死因について尋ねた。冨楽庵は眉ひとつ動かさず、淡々と語った。
「須藤は、急に行方が知れなくなって、数日後お城の濠から遺体が見つかった」
「溺死ですか」
「そのようじゃったのう。何でもあのお城の、蘭学者たちにあてがわれる部屋には、何やら秘密があったそうじゃ」

「秘密…」
「左様、その部屋の床下には、何か奇妙な物が埋まっているということで、ひところ騒ぎになったものだ。私がまだ若い頃からだから、先代の殿の頃じゃった」
「その奇妙な物というのは…」私はうわずった声を出した。

「生憎私もそこまでは知らぬが、何やら前にその部屋にいた者の遺品とか、あるいは遺髪とか言われておった。噂だから、どこまで当てになるかは知らぬが、前の蘭学者を追い出した後、証拠になる物を隠し、新しい学者を入れておったということじゃ」
私と保室は顔を見合わせた。保室は冨楽庵に尋ねた。
「しかし、なぜそのようなことを」
「さて…恐らく家中の者で、蘭学者に憎しみを抱く者がそのような働きをしたらしいようじゃ。しかも、その頃から御家中で化け猫の噂が飛び交い始めた」

蜂曽我部家の怪猫 九

「お、お前は一体なんだ」
「おいおい順庵先生、もう俺の声を忘れていると見えるな」
覆面を取ったその男は、我が友保室紗鹿だった。

「いきなり変な格好で来るなよ。物盗りかと思ったぞ」
「いやお前さんが、どのくらい用心深いか試してみたのだが、その様子じゃまだまだだな」
「しかしここまでどうやって来たんだ。初めてだとこの辺りはなかなかわかりづらいぞ」
「もう何日も前からいたよ」
「何日も前…」
「そうだよ。お前さんは丘の上で竹の皮や紙を拾っていただろう」
「なんでそれを知ってるんだ」
「そして椀と箸も拾って、それをわざわざ寺まで持ち込んだだろう」
「あれはひょっとして…」
「さよう、俺のしわざさ」

保室は部屋の中に入って来てあぐらをかき、こうも言った。
「あれでも気が付かなかったようだから、今回こういう風に、ちょっと変わったごあいさつをしてみせたのさ。明日でいいから、望月先生に話したいことがあるのだが…大丈夫かな」

翌日、私は保室を望月先生に紹介した。先生は興味ありげとも、胡散臭そうなとも取れる目で保室を見ていたが、彼が話を始めると、身を乗り出すようにして聞き入っていた。
「このご城下を見る限り、お侍衆が何か、非常に慌てているようにも見えます。恐らく城中では、ただならぬ動きになっているのではないかと」
「やはりそうか。で保室さん、あなたならどうするつもりか」
「まず和田順庵先生を数日お借りしたいと思います」
「よろしい。仕事が速いので助かっているから、数日暇をあげよう。その他には、何かあるかね」
「実は、城中の事情にお詳しい方を、どなたかご存知でしょうか」
私は正直言って驚いたが、保室は真剣な表情をしていた。望月先生はしばらく考えていたが、やがて、このように切り出した。

「以前の患家で、今はもう隠居しているが、詳しい方がおられる。一度、話をしてみよう」