保室の事件帳

江戸版ホームズ+大河ドラマリメイク。

直虎と呼ばれた女 二人の次郎 五

この頃、直盛は戦以外に二つの悩みを抱えていた。ひとつは、次郎の今後の身の振り方についてだった。十歳の時に、本領安堵とのいわば引き換えに、寺に入れて既に十五年の月日が経っていた。無論還俗させて、亀之丞とめあわせることも考えていたが、高瀬を連れて戻って来た以上、それは難しくなった。それでも次郎が、是非とも直親と夫婦にとでも言うのであれば、まだ考えもしたが、本人にその気はなさそうだった。
直盛は新野左馬之助に頼み、今川家の家臣の中で、よい相手があれば嫁がせようかと考えた。無論年齢も二十五となり、そのため正室や側室に加え、継室(後添い)も視野に入れていた。しかしこればかりは、本人に還俗の遺志がなければ不可能だった。そのため次郎を一度井伊館に呼び、この件を切り出してみることにした。

もう一つは、直親夫妻に子ができないことだった。このためひよはしばしば龍潭寺に通って祈願をし、また不妊に効くといわれる薬を飲んだり、直親に精のつく食事をさせたりもしていた。ひよはそのことで思いつめており、しばしば祝田の屋敷から、井伊館に来て、高瀬の世話を焼くようになって行った。またお千佳に、高瀬をぜひ養女に迎えたいとも言っていた。
お千佳はそんなひよに、自分と重なる部分を見出していた。かつてひさ、つまり次郎を出産した後、男児を生むことができず、その反動としてひさを猫かわいがりにしてしまい、直盛に叱られたことがあった。お千佳はひよに、まず子供を授かってから、その後に養女に迎えればいいと話したが、ひよはそのことで、益々自らを責めるようになって行った。この件では、直親の姿勢にも問題があった。直親はひよと子供のことについて、あまり話し合ったことがなく、食事には不平を言わなかったが、このことについて真剣に考えた様子はなかった。

直盛は、側室を置くことも考えていた。しかしそれをすれば、今川方の娘を側室にということにもなりかねなかった。かつて男児が生まれず、側室を置くべきかどうか迷いながら、直盛が断念したのも、そのようないきさつがあったからだった。しかしどちらかといえば、これは直盛の考えというよりも、今川嫌いの直平の意見が大きく反映していた。
しかし奥山家の遠縁で、夫を亡くし、しかも男児が一人いる女性がいることがわかった。既に出産経験があるということは、井伊家の嫡男を生むうえでも好都合であり、さらに腹違いの兄がいるということで、これは心強く感じられた。しかし直親がそのことをひよに話してしまい、ひよはかなり動揺した。それでなくても、別の女性との間に生まれた高瀬がおり、今後さらに、子を持つ別の女が井伊家に入って来ることで、自分の立場がなくなるように感じたのである。この夫婦のぎくしゃくした関係は、その後しばらく続く。

一方直盛は、清蔵を三河にやっていた。三河は既に今川の支配下となり、しかもこの次の戦では、最前線となる地域であった。しかも尾張の東、伊勢湾に面した地域も今川のものとなっており、伊勢湾の海運利権が、織田から今川に移っても何の不思議もなかった。その一方で織田では、今川方の砦を攻め落とし、また織田方の砦を新たに築いて、三河から尾張に至る地域には、緊張が走っていた。
清蔵からそのことを聞いた直盛は、近いうちに戦が避けられなくなること、そのためにも、次郎と直親に言うべきことを言っておかねばならぬと、決意を新たにした。その年の春、次郎は井伊館を久々に訪れ、父と母、そして伯父の左馬助から、嫁入りの件を切り出された。しかし次郎は言った。
「父上、母上、そして伯父上。せっかくのお申し出ではございますが、私は既に寺の生活に馴染んでおり、生涯を出家の身で過ごしたいと考えております」

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直虎と呼ばれた女 二人の次郎 四

「お前が、肥後守のことを言いふらしておる者か」
「殿様、ご勘弁を。あっしは言わされただけでして」
「言わされた、とは、誰に言わされたのだ」
「小野但馬守様です」
「但馬が…」
「へい、若殿様が百姓女と会って、子供まで儲けたと嘘をばらまけと仰って、金と酒をくださったんで、それで」
「叔父の村長には何も話さなかったのか」
「今すぐやって来いといわれまして」

直盛は釈然としなかった。あの政次が、このような稚拙な、しかも明らかに直親に不利となるようなことを、するはずがないと思ったのである。そのまま嘉助を帰し、政次に話を聞いてみることにした。しかし政次は一笑に付した。
「左様な、若殿様に迷惑のかかるようなことを、私がするわけはございませぬ」
「確かにそうであろう、とてもそなたがしたとは考えにくい」
「どなたか、若殿様に恨みを持つような人物が、他におられるということでしょうか」
「恨みを持つ者といっても、あいつは今までさほどのことをして来たわけでもないしいのう」
「いえ、たとえば、ご自分の考えを肥後守様がお受けにならないので、それで焦っておられるとか」
政次の目が、こちらを見ていた。それに直盛はぴんと来るものがあった。

翌日、再び嘉助が呼ばれた。
「お前が昨日言ったことについてだが、但馬は知らぬと申しておる」
「しかし、おらは確かに但馬守様が…」
「嘉助」
直盛は嘉助に近寄り、この男らしくない大声を張り上げて詰め寄った。
「本当に、但馬守なのか…嘘をばらまけと申したのは」
嘉助は頭を下げ、蚊の鳴くような声で答えた。
「ご隠居様で、ごぜえます…」
「声が小さい」
「ご隠居様に酒と金を頂いて、やって来いといわれました。何かかなり焦っておられました」

その二日後、直平は井伊谷にやって来て評定の席についた。直盛は一同に対して言った。
「今日はまず、皆に申しておかなければならないことがある」
そうして直盛は直平の前に進み、腰を下ろして口を開いた。
「爺様、いい加減になされませ。次郎のこと、既にこの私が把握してございます」
直平は驚いた様子を見せたが、照れたような笑いを浮かべて言った。
「見破られたか、小野の倅のせいにできると思うたのに」
その笑顔が、直盛の気持ちを逆なでした。彼はさらに声を荒げて言った。
「ここで但馬を貶めて、何となされます。のみならず、我が嫡子次郎直親をも辱めかねるが如きことをなされ、このままで済むとお思い召されるな」

「まあ、そう気色ばむな。あの小野の息子の辛気臭い面を見ていると、ついからこうてやりたくなるものでのう」
その場には、もちろん政次も居合わせていた。政次は無表情のまま黙っていた。
「爺様の左様な態度が、この井伊を危なくしていることにお気づきなされませぬか」
「何だと、今川をおちょくることくらい何が悪い」
「爺様がご自分のお屋敷で、今川家をどうこう言われるのは勝手でございます。しかしこのように領民をも巻き込み、今川家の目付である但馬を愚弄するが如き振舞いは、井伊家を二つに割る物でございます」
直盛はそこまで言って呼吸を整え、さらに続けた。
「井伊家が反今川とそうでない者と二つに割れれば、これは今川家の格好の標的となり、取り潰されることにもなりかねませぬ。以後、よくよくお気をつけられますように」

直平は気まずそうにしていたが、やがてその場を蹴って立ち上がり、腰巾着ともいえる中野直由を伴ってその場を去って行った。直盛は声を洩らした。
「困った爺様じゃ」
このことは清蔵によって、次郎法師にも知らされた。お千佳は反対したが、直平の行動について話しておけと直盛に命じられたのである。
「但馬守はそこまで皆に嫌われておるのか」
「やはり今川家の目付でもあり、あの風貌と頭の切れのよさゆえ、あまり親近感は持たれておりませぬ。殿や新野様、奥山様はさほどではございませぬが、ご隠居様や中野様は、かなり嫌っておられるようで」
清蔵が帰った後、次郎はまたも思いを巡らせた。直平にしてみれば、政次を悪人に仕立て上げて、直親を守ろうとしたのだろうが、ただでさえ謀略がうまいとはいえない曾祖父のことでもあり、とんだ裏目に出てしまったのである。

幸い、このことでの今川家からの咎めはなかった。その後弘治という元号は永禄と改められ、今川義元の尾張への侵攻は、いよいよ現実味を帯びて来るようになった。そして永禄三(1560)年の年が明け、義元は今年こそ、尾張を我が領土とすることを決意した。

直虎と呼ばれた女 二人の次郎 三

一方次郎法師は、直親夫妻に祝辞を述べた後、曾祖父直平に勧められて祝い酒を口にした。出家の身であると再三断ったのだが、直平が少しだけならいいじゃろうと絡み、直親が間に入って、一杯だけ口にすることになったのである。その酒は、甘味があるもののかなりつんと来て、まずくはないが、さほど美味な物でもなかった。
次郎はそれから龍潭寺に戻り、直親夫妻と自分の関係がどうなるのか、思いを巡らせてみた。恐らくことがうまく行けば、直盛から直親へと井伊家は受け継がれ、さらに直親に嫡男が生まれたら、その子へと受け継がれるのであろう、しかしその間戦が起こり、井伊家の継承に差し障りでも出たら、一体どうなるのであろうか。一介の出家の身ではあったが、井伊家の娘であり、しかも還俗できるという選択肢を持つ以上、今後のことについて次郎はまだ決めかねていた。

その頃今川家では、義元の嫡男である氏真が、北条家の娘を嫁に迎えていた。また、今川館で見かけた瀬名が、今川家に人質に出されていた、松平竹千代と結婚することになった。既にこの当時竹千代は元服し、義元の元の字を貰って、名を元信と改めていた。瀬名はこのことを、文で次郎に知らせていた。清蔵が持参したその文を読んだ次郎は、松平元信という若い武将が、この先今川の家臣となって行くのだろうと思い、いくらかの興味を覚えた。
また義元は検地を行った。無論井伊家の領地もその対象となったが、ここで問題になったのが、直平が領地の川名に隠し持っている田畑であった。直平はこの地を、南北朝時代の親王であり、井伊谷にもゆかりのある宗良親王の御料地としていた。検地に立ち会うに当たって、そのことを政次から教えられた直親は、その旨をはっきり伝えており、また今川の家臣たちもこの件を黙認し、すべて丸く収まった。

しかしこの弘治元(1555)年、今川家に不幸があった。義元が師と仰ぎ、軍事や内政の顧問としても頼りにして来た太原崇孚雪斎が、60歳で亡くなったのである。これによる義元の落胆は大きかった。また、この人物から学問を教授された松平元信も、その死を惜しんだ。また病死ではなく、毒を盛られたのではないかとか、あるいは、今川に反発する国衆の仕業ではないかなどといった流言飛語もあったが、義元は悉くそれらを無視した。
しかし葬儀が終わった後、義元は氏真を呼び、国衆との付き合い方について教えた。国衆というものは、寛容すぎても、あるいは厳しすぎてもよくないことを述べ、そなたが跡目を継いだ場合には、このことをよく心しておくようにと諭した。義元も近いうちに、尾張の織田信長との間で一大決戦が起こることを覚悟していた。以前から織田とはしばしば衝突しており、いずれその時が来ることは、火を見るより明らかであったため、伝えるべきことを伝えておきたかったのである。

井伊谷では直親が、祝田でひよとの新婚生活を送っていた。次郎は農繁期にはしばしば村へ行き、刈り入れなどを手伝っていた。その時、次郎はよからぬことを耳にした。直親が日が暮れてから村へ行き、百姓女と会っているというのである。しかも二人の間には子供がいるなどという話まで、耳に飛び込んで来た。井伊家の跡継ぎの話ということで、この話はまたたく間に村に広まった。
この話は、直盛とお千佳の耳にも入った。直盛は直親を呼び、事の真偽について尋ねたが、直親は、百姓に相談を持ちかけられて、村に出向いたことはあるものの、女のことなどは一切知らないと言い通した。そのうち、この噂をばらまいた者が発覚した。嘉助という百姓で、祝田の村長の甥に当たる男であった。直盛は嘉助に尋問した。

直虎と呼ばれた女 二人の次郎 二

やがて直親の縁談がまとまった。相手は奥山朝利の娘、ひよであった。ひよと、妹のまつとのどちらかということになったが、年上のひよということで決まった。ひよはしっかり者でおとなしく、直親と結婚するに当たって、高瀬を自分たちで引き取ってもいいとまで申し出ていたが、当面は二人きりで祝田で生活をして、落ち着いたら検討しようということになった。
その高瀬は、お千佳ととよが中心になって面倒を見ていた。高瀬は、次郎が子供の頃に着ていた小袖のおさがりを着せられ、お千佳に文字を教えてもらったり、本を読んでもらったり、天気のいい時は、とよと外に出たりして日を過ごしていた。最初は怯えていたような高瀬も段々慣れて来て、井伊谷での暮らしを楽しむようになっていた。

直親とひよの婚儀が行われた。次郎も挨拶に来るようにとのことで、一連の儀式が終わってから、和尚からことづかった酒を持って、久々の我が家に足を運んだ。評定の間に座っている二人に、次郎が祝辞を述べ、二人は礼を返した。するとそこへ、かなり酒が入っているであろう曾祖父直平が現れ、次郎を見つけて心底嬉しそうに声を張り上げた。
「次郎か、久々だのう」
直親が苦笑した。
「爺様、私も次郎でございます」
「そうじゃった。井伊家に次郎は二人おったか」
次郎が南渓からの酒を差し出すと、直平は一層表情をほころばせた。
「これはこれは、和尚にはいつもありがたいことじゃ」
南渓も僧でありながら相当の酒好きであり、時折井伊の屋敷に来ては、今後の井伊家についての談義を行いながら、直平や直盛たちを酒を酌み交わしていた。

しかし家督を継いだとはいえ、直親には内政も、あるいは井伊谷周辺の状況もわからないことだらけだった。そこで内政に関しては、小野政次が手取り足取り教える格好になった。また村々を回るのには、奥山や中野といった家臣が付き添っていた。
政次はこの年、父和泉守政直が病死していた。小野家の当主となったったうえに、直親の家庭教師的な役割も果たさなければならず、また駿府に赴いて、直親の帰還や元服の許しを得なければならず、政次は多忙を極めていた。屋敷に帰れないこともあり、妻にも寂しい思いをさせているうえに、今川の目付け役ということで、井伊家中では直盛をのぞき、いい印象を持たれていなかった。父の負の遺産ともいえるし、井伊の今川観がそうさせている部分もあった。
何より、父の死により直親が戻ることになったわけで、政次にしてみれば、父が井伊家のためを思ったにもかかわらず、井伊家から邪魔者扱いされていたのが不愉快だった。無論表には出さなかったものの、このことは政次の中でどす黒く渦を巻いていた。

政直が死ぬ前に、彼は父に尋ねたことがあった。それは、井伊家が殊更に人質を嫌う点だった、ひさの駿府行きの時に、今川家の人質になることを勧めたのは、この父だった。しかし新野や直盛、そして直平により、この件は反故にされた。直平が、娘の佐奈を義元に差し出した件で懲りていたからともいわれていた。しかしこの、人質が当たり前といえる時代にあって、直平の態度は尋常ではなかった。
「あの方がおひとりで、井伊家に反今川の種を撒いている」
和泉守はそう言っていた。さらにこうも言った。
「お前は私と同じ道を辿る、それが目付としての、小野家の嫡男の務めだ」
さらに政直はこうも言った。
「あるいはお前は、私を超えるかもしれぬ」
この父の最後の言葉に、政次は戸惑っていた。「超える」とはどのような意味なのか。それを、まだ若い政次はつかみかねていた。

蜂曽我部家の怪猫 十三

旅籠の主人は宿帳を調べてくれ、例の行商人の名前と、どこから来た者であるかを突き止めてくれたのである。
「名前は小戸屋元吉、江戸からのお客様です」
「小戸屋元吉か…そのような店は聞いたことがないな。偽名かも知れないな」
「実は、私もそう思っております」
「また、それはどうしてだい」
「実はこの方にそっくりな方が、先日お見えになりまして、実はその時の格好はお武家様でした」
私と保室は顔を見合わせた。

「その、武士の方の名前は何というんだ」
「瀬尾平左衛門様とお書きになりました」
我々はその旅籠へ急いだ。宿帳にある元吉と瀬尾の文字は、どう見ても同じ人間が書いたとしか思えなかった。
「どうやらこの二人は同一人物のようだな。ご主人、この瀬尾なにがしの歩き方に何か特徴はなかったか。どちらかの足を引くとか」
「いえ、しごく普通に歩いておられましたが」
保室は満足そうな表情になり、片手で顎をなでた。

望月先生のお宅へ戻る途中、保室はこう言った。
「元々は武士で、行商人に変装していたということになるのか」
「しかし、なぜこうすぐに足のつくようなことをするんだ。もうちょっとうまく変装すればいいのに」
「同一人物だとわからせたいのかもしれないな、相手は」
「どういうことだ、よくわからない」
「まあ、そう遠くないうちにすべてがわかるさ」
保室は自信満々だった。

その夜、保室は一人でかがみ込むような姿勢を取っていたかと思うと、障子を開け、外を眺めた。同じ動作を三回ほど繰り返してから、出し抜けに私に話しかけた。
「恐らくこういうことだろう」
そう言って、彼は私の前にかがみ込んだ。
「化け猫騒動は蘭学者追放のかくれみの、これは間違いなさそうだ。そのために、この元吉と瀬尾を名乗る同一人物が暗躍していた」
さらに、彼は私の顔をのぞき込み、手を合わせてこう言った。
「実は、もう一度冨楽庵殿にお会いして、伺っておきたいことがある。望月先生を通して、頼んではくれまいか」

望月先生の許可を得られ、翌日私たち三人は、再び冨楽庵殿の屋敷に向かった。先生がしばらく薬の話をした後、保室が再度質問をした。しかしその内容は、思いがけないものだった。
「冨楽庵様、申し訳ないのですが、昨日懐に入れておかれた文書、あれを見せていただけないでしょうか」
「左様な物は、持ってはおらぬが」
「いえ、先日貴方様は懐紙を取ろうとして、うっかりその文書を取り出そうとなさいました。私はそれが何であるのか、気になっていたのです。それさえ見せていただければ、蘭学者の件も、須藤殿の件も多分わかると思いますので」

直虎と呼ばれた女 二人の次郎 一

亀之丞が実際に戻って来たのは、それから一月余り後のことだった。家人一人を従えて、久々に井伊谷に現れた彼は、かなり背が高くしかも日焼けし、眼つきの鋭い男になっていた。出迎えた井伊家の親類衆である中野直由、奥山朝利は互いに顔を見合わせて言った。
「これは、彦次郎(直満)様に似て来られたのう」
しかも彼らには、もう一つ驚くべきことがあった。それはまだ幼い少女を、亀之丞が連れて戻って来たことであった。親類衆に案内されて、当主の直盛に面会した亀之丞は、まず自分を逃がしてくれたことの礼を述べた。

そして亀之丞は、家人が抱いていた少女を受け取り、直盛とお千佳に紹介した。
「娘の高瀬でございます」
娘という言葉に、二人は目を丸くした。聞くところによれば、長源寺にいた亀之丞は、地元の地侍の家で剣の稽古をしていたが、その家の娘と恋仲になり、その子が生まれたというわけであった。実際その子は、亀之丞の小さいころにいくらか似ていた。
「母親は連れて来なかったか」
「生憎、先の冬に風邪をこじらせて死にました故」

亀之丞は、やや沈鬱な面持ちでそう答えた。直盛は悪いことを聞いたかと思い、話を変えた。
「ところで元服のことだが、早い方がよかろう」
「ありがとうございます。もはや子もおりますのに、未だ元服前でございますので」
「よい跡継ぎが出来たものじゃ、姫もおるしのう」
実は亀之丞はまだ元服を済ませていなかった。井伊家で式を執り行いたいという本人の希望が、南渓に文面で知らされており、直盛は早速その準備に取り掛かった。また、縁談の話も持ち上がり、井伊家はにわかに活気を帯びて来た。

しかし龍潭寺にいる次郎は、そのようなこととは無縁だった。無論、実家の井伊家に戻って祝辞を述べることはできたが、それも頑なに拒んで来ており、元服の際も、清蔵がそれを伝えに来てくれたのである。
「亀之丞は、どのようになっておったか」
「それは、実に堂々とした若武者振りで、お父上の彦次郎様によく似ておいでです」
「そうか、名は何というのか」
「井伊肥後守直親様にございます」
清蔵はそこまで言って、次郎が何か寂しげにしているのに気が付いた。
「お会いにはなりませぬか」
「今は別にいい、一人で色々と考えたいのじゃ」
清蔵が帰った後、次郎は文机に肘をつき、ため息をもらした。

亀之丞の元服については、何も異存がなかった。その娘の高瀬も、井伊の姫として、そこそこの家との縁組みもできるという安堵感もあった。しかしこれまでの十年間は、亀之丞不在という前提で成り立っていた。特に自分の寺での生活は、亀之丞がいない世界で成立したものであった。
そこに亀之丞改め直親、高瀬、そして直親の正室になるであろう女性が、新たに入って来ることにより、自分の出家生活も、これまで通りには行かなくなるであろうと、次郎は考えていた。

直虎と呼ばれた女 次郎法師誕生 五

義元にしてみれば、井伊は喉に刺さった小骨のような存在でもあった。義元と玄広恵探が跡目争いを繰り広げた花倉の乱でも、井伊、あるいは北条と縁組をした、元遠江守護の堀越などは、恵探側についていた。またその後、甲斐武田氏との関係を強化した義元に対し、北条氏綱が駿河へ侵攻して、富士川の東を占拠してしまった。所謂第一次河東一乱である。この時西からは、北条と同盟した堀越や井伊が反撃に出て、今川は苦戦を強いられた。

その後この富士川東部は、北条の支配するところとなるが、ひさが寺に入った翌年の天文14(1545)年、義元は関東管領上杉氏に働きかけて北条を挟み撃ちにし、結局武田晴信の仲介により和睦した。その翌年には、北条は河越城の戦いで上杉氏を退け、これによって扇谷上杉氏は滅亡、生き延びた山内上杉氏も、急速に弱体化する破目になった。北条はその後さらに力を伸ばし、山内上杉氏は最終的には越後に逃げ、上杉の名跡を長尾景虎に譲ることになる。

その一方でひさ、すなわち次郎法師は、僧としての生活に少しずつ馴染んで行き、やがて一人部屋を与えられた。時間が出来た時には、南渓から借りた本を読むこともあった。しかしそれらの本はなかなか難しく、次郎の手に負えないこともあった。今川や武田、北条といった大名たちの争いも、この井伊谷においては無縁とは行かずとも、さほどに影響することはなく、比較的平和な生活が保たれていた。しかしこれらの大名たちが、同盟関係を結んだ天文23(1554)年から、徐々にそれは変化し始めた。

この年数えの二十歳になった次郎は、元服して、小野但馬守政次と名乗るようになったかつての鶴丸から、ある情報をもたらされた。三国による同盟が締結されたことにより、武田晴信が信濃で越後の長尾景虎と直接対決する機運が高まったことを受けて、亀之丞が戻ってくることになったのである。
「嬉しくはないのか」
「嬉しくなくはないが、私は既に出家の身であるし…」
次郎に取っては嬉しくもあり、かといって、今更亀之丞の妻になることも考えられなかった。

政次は言った。
「そなたが還俗しなければ、どこかの家の娘御と一緒になるのであろう」
次郎はそれでもよかった。少なくとも、井伊の跡を継ぐ者が帰って来てくれれば、それに異存はなかった。これを知らせてくれた政次も、遠縁の娘と近々結婚予定であった。政次は、それが好みなのか、あるいは父にいわれたのか、和泉守そっくりの黒っぽい服装をしており、さらに父親に似て来たように見えた。

直虎と呼ばれた女 次郎法師誕生 四

しかし次郎法師となったひさは、寺に入る前から試練を受けることになった。寺の前には剛力で知られる傑山宗俊が立ちはだかり、まるで通せんぼをしているように見えた。次郎が不思議に思い、その脇をくぐり抜けて山門を通ろうとすると、傑山はいきなり次郎を抱え、石段に下ろした。何度やってもその繰り返しだった。
「これでは寺に入れないではないか」
それを聞いた傑山は、次郎に向かって割れるような大声で怒鳴った。
「私は今日からそなたの兄弟子。ならば挨拶をして通るべきじゃ」
次郎が傑山に頭を下げ、やっと寺へ入ると、今度は昊天宗建が待ち構えていて、寺の中を案内した。
「私の部屋はどこじゃ…どこでしょうか」
口を開いた次郎を、昊天は僧堂へと連れて行った。そこでは多くの僧が起居しており、無論食事もそこで摂るのだった。今までとはあまりにも違う環境に、次郎は出家したことを、早くも後悔し始めていた。

寺の生活は仏の道を極めることに加え、掃除、畑仕事などもあった。これも殆ど経験のない次郎の手に余ったが、だからといって他の僧たちが見逃してくれるわけでもなかった。また、ただでさえ少ない食事から、施餓鬼をしなければならないことにも、次郎は大きく戸惑った。
ある日、空腹に耐えかねた次郎は、昊天にそのことを打ち明けた。すると南渓が出て来て、ならば托鉢に行って恵んでもらえといわれ、次郎は他の僧に連れられて托鉢に向かった。まだ経を読むことさえおぼつかない次郎であったが、村の者は焼き饅頭をくれた。
それを食べてもいいと言われた次郎は、夢中でまだ熱い饅頭を頬張った。実際、饅頭がこれほど美味に感じられたことはなかった。その後次郎は村への托鉢に時々出かけた。村人と出会うことも楽しかったし、田畑の様子を眺めるのも新鮮に思えた。

次郎が慣れない寺での生活に四苦八苦している頃、今川家では、義元が首をひねっていた。なぜ井伊は、後継者と決めていた亀之丞がいなくなった後、娘を出家させたのかということだった。義元は首の後ろに指していた扇を手に持ち、それをぱちんといわせて、件の僧の方に向き直った。
「不思議ではないか、雪斎」
その僧、太原崇孚雪斎は答えた。
「恐らくは親類筋の子女にでも継がせるか、あるいは亀之丞の帰国を待つか、いずれかにございましょう」
「亀之丞の帰国とな、あれは罪人の子であるぞ。帰って来た暁には、しかるべき処罰を加えねばならぬ」
「そこで太守様のお慈悲の深さをお見せになるのでございます。井伊など、取り潰す時にはいつでも取り潰せます故、当面は様子見も必要でありましょう」
雪斎の目が義元を見上げた。この僧は義元の師でもあり、軍師でもあり、今川家の中枢に深く入り込んでいる男でもあった。

元々義元は、今川家を継ぐ立場にはなかった。しかし父と兄の急死により、その当時一人の僧として、梅岳承芳と名乗っていた義元の一派と、異母弟である玄広恵探の一派が、跡目争いを繰り広げることになる。所謂花倉の乱である。
この時義元一派を率いたのが、この雪斎と義元の母寿桂尼だった。北条を味方につけた義元一派に、恵探一派は敗れ去った。その時の梅岳承芳こと義元、寿桂尼、雪斎の三人が、その後今川氏の実権を握り、義元の宗主権も拡大することになった。そのため配下の国衆たち、特に、何をしでかすかわからない井伊などは、抑えておく必要があると考えたのである。

蜂曽我部家の怪猫 十二

翌日、保室は茶人か歌の師匠といった格好をしていた。私にも変装を勧めたが、私は彼のように、変装した人物そのものになりすますことが得意ではなく。そのまま出かけることにした。我々は再び城の近くに行き、そこで辺りを見回した。保室は、須藤古之進が溺死したことにやけにこだわっていた。なぜ須藤のみが溺死したのか、それを探れば、この奇怪な事件の全容が見えてくると言うのである。

「須藤は結局殺されたんだ、単なる溺死じゃない」
「見せしめのためか」
「いや、見せしめのためなら他にも殺されているはずだ。要は、次席家老派や蘭学者たちを脅すための、人身御供だったと言ってもいい」
「しかし、蘭学者を殺すことで、次席家老派をそこまで脅せるのものかね」
「いや、どうもこの御仁は単なる蘭学者じゃないかもしれない」
「どういうことだ」

「昨日のあの老人の言葉に、どこか不自然さがあったのに気づいたか」
「冨楽庵か。いや、よく暴露してくれたと思ったが」
「確かに色々話してくれた。しかし冨楽庵は、須藤が急に行方が知れなくなったと言った。その後、お濠から溺死体が上がった」
「確かにそうだが、それが何かおかしいのか」
「半田梅翁も、何かで不審な死を遂げたと言っていた。須藤の死はあちこちに知らされ、しかも筆頭家老に反対する人たちが、いとも簡単に知ることができた。むしろ、率先して彼らに知らせているとも言えた。それはなぜか」
「蘭学者たちを脅すためだろう」
「それもそうだが、もう一つ理由がある。須藤は蘭学者のみならず、次席家老にも、あるいは若君にもかけがえのない存在で、彼らを脅すことこそが、かの人物を殺す理由だったのだ」

「よく考えてみろ」
保室はいつもの口調で、自らの推理を話し始めた。
「たかだか一介の蘭学者なら、追い出すだけでいい。殺すなどという強硬手段に出れば、里村藩、蜂曽我部家の名前そのものに傷がつきかねない。問題は、なぜ殺されなければならなかったかだ。大きな影響力を持つ人物だからに他ならない」
「では、須藤古之進は何者なのだ」
「俺の推測だが、藩主一族と関係のある人物だろう」

保室は持っている杖を高く上げ、城の方角を指した。
「恐らく城中で失踪したという噂をばらまかれたが、須藤はどこかに監禁されていたと見える。その後殺され、遺体が濠に何者かの手によって投げ込まれた。恐らくその直後に、半田が仕えるようになったのだろう。その後部屋の床下に、妙な物があるのに気が付いた。多分他の蘭学者たちも、同じような嫌がらせをされていたのだろう」
「では、昨日の御老人が言っていた化け猫との関係、あれはどうなんだ」
「これも里村藩の名を落とすための手段だろう。これは帰ってからじっくり考える予定だがね」

我々は帰途についたが、その時、かなり前に顔を合わせた旅籠の主人とばったり出会った。というよりも、向こうから声をかけて来たのだった。
「よく私だとわかったな」
「私どもは、お客様の顔を覚えるのが商売ですので」
やはり変装しないでよかったと思った私に、次の瞬間思いがけない言葉が飛び込んで来た。
「あの行商人の身元がわかりましたよ」

直虎と呼ばれた女 次郎法師誕生 三

さらに和泉守は続けた。
「太守様にお声をかけられるまで、頭を上げてはなりませぬ」
ひさはしばらく平伏していた。彼女の後ろにいるとよも同じだった。
ややあって、正面の公家風の男が声をかけた。
「面を上げよ」
ひさは、正面を向いた。目の前のこの人物が、今川義元その人なのだと思った。
「ひさと申したな」
「はい」
「そなたは井伊の家を継ぐつもりでおろう」
ひさは返答に窮したが、父の「いいと思うのなら、太守様に申し上げろ」の言葉が脳裏をよぎった。
「私は…家を継ぐのではなく、出家したいと考えております」

「出家とな。しかしそなたが出家すれば、井伊の家を継ぐ者はおらぬぞ」
ひさはうろたえた。亀之丞がもし戻ればと言いたかったが、ここで亀之丞の名を持ち出すことは、新野の伯父からも、とよからも戒められていたのである。ひさはそれ以上、義元の意に叶う返事を見つけられなかった。
「ははは、よいであろう。そなたがもし出家するのであれば、それと引き換えに、そなたの父の所領は安堵いたす。その旨直盛にしかと伝えておけ」
ひさは答えられない口惜しさと、父の所領が安堵されることを聞いたのとで、何か気が抜けたように思った。無論これは和泉守と話がついており、ひさの出家も念頭に置いたうえでのことで、いわば今川からの、ひさへの最終確認のようなものだった。

無論ひさが、寺の生活の何たるかをきちんと心得たうえで、出家したいと言ったかどうかは定かでない。ただし、今川と縁組をさせられることに、あまり乗り気でなかったのは確かであり、和泉守もその旨を直盛から伝えられていて、折衝を繰り返した後の結論だった。
その後ひさは寿桂尼と会った。こちらは寿桂尼の居間で、こじんまりとした作りだった。しかしこの部屋の主は、尼僧姿でありながら、普通の女には見られない鋭さと覇気があった。

「そなた、名は何と申す」
「ひさと申します」
「どのような字を書くのじゃ」
「ことぶき、という字を書きます」
「それは、我が名と同じであるのう」
寿桂尼は、相手が子供ということもあるのか、初対面には珍しく笑みを見せ、その後龍王丸や瀬名のことを話した。ひさも廊下を進む時、龍王丸の姿が目に入った。水干を身に着けた、如何にも貴族的な雰囲気の少年だった。
寿桂尼との対面は短時間であったが、別れ際に寿桂尼はこう言った。
「そなたとは、何かの縁があるような気がしてならぬ」

こうしてひさは出家し、次郎法師と名乗ることになった。井伊家の嫡男に代々伝わる通称を、そのまま法名としたのである。また尼でなく、僧として寺に入ることになった。これは、いざという時に還俗可能なようにという、南渓瑞聞の配慮であった。丸坊主になったひさを、直盛もお千佳も、そしてとよも感慨深げに見ていた。ひさは両親に別れの挨拶を述べ、南渓が住職を務める龍潭寺へと向かった。