保室の事件帳

江戸版ホームズ+大河ドラマリメイク。なお「蜂曽我部家の怪猫」については、大河リメイクの「跡を継ぐ者」が終わり次第アップ予定です。

直虎と呼ばれた女 跡を継ぐ者 五

直親は酒井と約束した寺に向かった。供は二人だけという気軽ないでたちで、これは酒井の要請によるものだった。初めて見る酒井忠次は、温厚な、三河武士らしからぬ風貌で、こちらも供を二人、それから茶人と思しき人物を連れていた。この場で、茶を点ててくれるということで、直親は、松平とは存外風流な家中であると思った。その茶人も、京から流れて来たのであろうか、どこか雅やかな雰囲気の男であった。
直親と酒井は今後の今川家についてしばらく雑談をし、酒井は、今後井伊殿のために松平が力になるっこと、そして、今川家は恐らくは衰退するかもしれないといったことも口にした。いずれ松平が駿河の覇者になるかも知れないと思った直親は、今後のことをよろしく頼むと約束して、酒井と別れた。酒井は、またいずれ我が主君にも目通りしてくれと告げて、去って行った。

直親は井伊谷に戻った。側にいた小野但馬守政次に、酒井のこと、茶のことなどを話して聞かせ、いずれ松平と手を結ぶことになるやもしれぬと話した。聞いているうちに政次は、落ち着かない気持ちにさせられた。酒井の風貌や茶のことなど、今まで自分が駿府経由で見聞きしていたものとはまるで違ったものだったからである。直盛ならば、事前に清蔵を使って探らせたのであろうが、直親はそういうことが苦手であった。
「茶の味は如何でございました」
この寓意を含んだ政次の問いに、直親は、あっけなさすぎるほどの率直な答えをした。
「うまくはあるが、なかなかに苦い物でもあるのう」

政次は決意した。
その数日後、再び彼は駿府に向けて馬を進めていた。おそらく直親のことで何か言われるであろうと思うと、気が重くもある一方で、妙に開き直った部分もあった。駿府では義元が政次を見るなり、茶を振舞おうと言い、茶人を呼び寄せた。その茶人は、直親の言に従う限り、直親と酒井政次の会見で茶を点てた人物と瓜二つであった。政次は何事もなかったかのように茶を飲み干した。氏真が例の件に気づいているのかどうかは、定かではなかったが、自分から話を切り出すことは流石にためらわれた。
さらに政次は寿桂尼の居室にも通された。どうやらこちらで例の話が切り出されるのかと思っていたら、寿桂尼は最近の京の様子についてあれこれ話し始めた。政次は、張り詰めていたものが緩むのを感じた。一通りの雑談が終わった時、寿桂尼は初めて例の件を切り出した。
「ところで但馬、肥後守が松平の家臣に会ったという話を小耳に挟んだのだが、それはまことか」
既にこの時点で、政次は覚悟を決めていた。
「間違いなく我があるじ、肥後守は松平家家臣と会うてございます」
寿桂尼が何やら合図をした。すると今川家の家人がやって来て、政次に文を一通渡した。
「井伊肥後守様にこれを」

政次は井伊谷に戻り、直親と二人きりになった時に文を渡した。それを読んだ直親は、何やら奇妙な表情を浮かべた。
「酒井殿と会ったことが、今川家に洩れているらしい。申し開きをせよとの仰せじゃ」
(やはりそうか)
政次の予感は、ここで的中した。しかし直親という男の不思議なところは、これを今川家の仕業とは思わず、あくまで自分が酒井忠次と会い、それが今川家に知られたと信じていることだった。
「年も押し詰まる頃だが、太守様の仰せ故致し方ない。申し開きをして来る故、そなたには留守を頼んだぞ」
政次には、最早今川の陰謀と知らせるだけの気力もなかった。ただ家臣として言っておくべきことがあった。
「殿、酒井殿と会われたことは、悪くすれば太守様のお気持ちを逆なで致しかねませぬ。お気をつけられますように」
「わかっておるわ」
ところがこの直後、直親は自分の考えの甘さを思い知らされることになる。

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直虎と呼ばれた女 跡を継ぐ者 四

この年に入って、松平元康は織田信長と接し、軍事同盟を結んだ。これで元康が、今川に敵対する勢力に回ることになったが、これを聞いた今川氏真は、瀬名と子供たちを誅するように命じる。しかしこれに関して、思わぬ裏切り者がいた。それは氏真の祖母寿桂尼であった。これを聞きつけた寿桂尼は、密書を三河に送り届けた。元康の家臣石川数正が駆けつけ、鵜殿長照の子供たちと、元康の妻子との人質交換を迫ったのはこの時であった。
松平の屋敷は、今川の兵たちに囲まれていた。ある時、嫡男竹千代が手に持っていた独楽を落とし、外へ出ようとした。それを見た瀬名は、鋭く叫び声を上げた。
「竹千代、外に出てはなりませぬ」
母の声に驚いた竹千代は、独楽を拾うと兵たちの間を潜り抜け、母のもとへ戻った。袖にしがみつく息子に、瀬名は言い聞かせた。
「この者たちは、いざという時に備えて屋敷を守ってくれているのです。ですからそなたも、うかつに外へ出たりしてはなりませぬ。わかりましたね」
兵たちは瀬名に一礼した。瀬名は彼らにしてみれば、敵となった元康の妻であっても、やはり今川家中の娘に変わりはなかった。しかし瀬名が三河へ向かった後、父は切腹し、母は出家することになる。

このことをしたためた瀬名の文が、ある山伏により次郎に届けられた。その山伏は名を松下常慶といい、松平家臣の弟で、南渓とも誼が深かった。しかし瀬名は、その後三河に戻って以来、文を送らなくなった。送らないというより、送れないといった方が正しかった。常慶を通したとしても、今川の敵となった自分が文を寄越すことにより、次郎があらぬ疑いをかけられかねなかったからである。
同じ頃、やはり松平からの手紙が直親のもとに届いていた。こちらも松平からではあったものの、直親はさして気にも留めずに目を通した。文は元康の重臣、酒井忠次からの物で、一度お会いできないだろうかといった内容が綴られていた。しかし政次はかぶりを振った。
「それは成りませぬ。偽手紙ということも考えられます」
「そなたは少し疑い過ぎではないのか」
「重臣を騙って、敵をおびき寄せるのは調略の常套手段でございます。簡単にお信じになりませぬよう、どうぞ捨て置かれくださいませ」

しかしそれから一月ほど経った頃、同じような文面の手紙がまたも送られて来た、酒井殿は本気ではないのかという直親の問いに、政次はひたすらかぶりを振り続けた。相手は焦っているのだろうと感じていた。多分、寿桂尼が言ったのはこのことだったのだろう。
それから二月近く経って、同じ手紙がまた届いた。ついにしびれを切らした直親は、政次に諮ることなく自分で返事を書き、それを清蔵に持たせようとした。しかし清蔵はたまたま駿府にいたため、その弟子に当たる若い忍びにそれを持たせ、手紙にあった忠次の陣へと送り込んだ。ほどなくしてその返事が持ち帰られたが、そこには三河のとある寺で会う旨がしたためられていた。

政次はその忍びから、このことを聞かされて立腹し、同時にうろたえた。反今川勢力と井伊が手を組んだも同然であるのに加え、これが今川の罠である可能性も捨てきれなかった。どちらにしても、今川に直親を処罰するための、最大の口実を与えたようなものだった。
(まずいことをしてくれたものよ)
この点直親は、やはり領主としては脇が甘すぎた。既に本人はその気になって支度を整えていた。政次が再三注意しても、取越し苦労じゃと言うことを聞かなかった。無論、寿桂尼の言葉を今更伝えるわけにも行かず、政次は赤く色づいた木々の葉を見つめながら、今後の自分について思いを巡らせた。
(事と次第によっては、あの殿を裏切ることになるだろう)
この時政次は初めて、「裏切り」を考えたのである。

直虎と呼ばれた女 跡を継ぐ者 三

奥山朝利の一件もどうにか落ち着き、ひよは臨月が近くなっていた。侍女とその日のための準備をしながら、まきと遊ぶ高瀬を見るのが、彼女の楽しみとなりつつあった。時々はまつが亥之助を連れて遊びに来ることもあり、母親としては先輩の妹から、色々なことを教えてもらうのも、ひよに取っては嬉しかった。
明くる永禄四(1561)年の春、ひよは男児を出産した。虎松と名付けられたその子は、井伊家に明るい話題をもたらした。小野但馬守政次も、この吉事を喜び、駿府へもそのことを知らせた。しかし駿河遠江の国衆たちの中では、依然として不穏な動きがあり、駿府では虎松を人質にという声さえあったが、政次にはそのことは知らされていなかった。

この頃は、政次に取ってものんびりできる時期だった。しばらく会話も交わさずにいるうちに、子供たちは大きくなり、長男の鶴丸は五歳になろうとしていた。これを機に、鶴丸は寺へ手習いに行かせることにした。かつて自分が通っていた寺へは、今は中野直由の息子が通うようになっていた。いずれ甥の亥之助、あるいは出生間もない虎松も、この寺に通うことになるのだろうと思うと、かつての自分や直親の姿がだぶり、感慨深いものがあった。
一方次郎法師は、すっかり俗世と縁を切り、寺で過ごしていた。虎松のことを聞き、これで自分も還俗することはなくなったと考えていた。しかし心のどこかで、あるいは何かの理由で、自分が実家に戻ることも考えていなくはなかった。虎松が生まれはしたものの、井伊家の跡目は未だしっかりしているとはいえなかった。そのためにも、自分がどこかから養子を貰うことも視野に入れておく必要があると、そう思っていた。

この時期、松平元康の妻瀬名は、駿府にいて軟禁状態だった。子供たちが父に会いたがっているのに会わせることもできず、太守様のお下知で三河にいると言うより他はなかった。瀬名は次郎に文を送ったが、無論ことの次第を詳しく書けるわけもなく、駿府にいること、元康と離れているのは寂しいことなどが綴られていた。
次郎は、自分も今川家中に嫁いでいたら、同じようなことになり、井伊にも影響が及んだかもしれないと考えていた。その意味では、あの時縁談を断ったのは正しいといえた。しかし父の死後、母祐椿尼から、自分の花嫁姿を一目見たかったと話していたことを聞かされ、その時は流石に涙がこぼれた。

この年は信濃の川中島において、武田信玄の軍が、上杉方と四度目の合戦を行っていた。この時、信玄の弟である信繁が戦死し、このことが将来的に、武田に、さらには今川に影響を及ぼすようになる。そして三河では、元康が直に足利将軍家と接し、今川から独立した勢力として認めてもらう準備を、着々と整えつつあった。
そして、その年も暮れ、永禄五(1562)年が訪れた。それまで比較的平和だった井伊家は、この年から歴史の中に巻き込まれて行くことになる。しかし、正月の時点では誰もまだそのことを知らずにいた。政次でさえ知ることはなく、冬の穏やかな日差しの中で、祝い酒を酌み交わし、今後の井伊家の発展と、虎松の健やかな成長への願いを家臣たちが口にしていた。

直虎と呼ばれた女 跡を継ぐ者 二

政次は駿府に到着した。衣服を整え、まず太守である氏真に目通りした。
「このほどは先の太守様のご逝去、お悔やみ申し上げます」
「堅苦しい挨拶はよい、但馬」
氏真は如何にも良家の子息らしい、人のよさそうな笑みを浮かべた。
「それよりも今後如何に、我が領地を取り仕切って行くか。岡部や朝比奈、庵原などの力も借りてはおるが、そなたにも井伊のことをこまめに報告してもらいたい」
政次は意外だった。肝心の松平元信に関する言葉が、まるでなかったのである。しかし氏真にそれなりの考えがあるのだろうと思い、深々と頭を下げた。
「それよりも、婆様がそなたに話があるそうじゃ」
「大方様がでございますか」
政次は今川家の家人に案内され、寿桂尼の居間へ向かった。寿桂尼は、この当時でいえば高齢ではあったが、背筋を伸ばして座っていた。
「但馬か」
「大方様、この度は…」
「堅苦しい挨拶は要らぬ」
先ほどの氏真と同じ答えが返って来た。
「そなたのみならず、国衆の目付たちに命じていることがある。心して聞いて給れ」

寿桂尼は、政次に近う寄れと命じた。
「そなたも知っておるであろうが、松平次郎三郎がこの今川に盾突いた」
「左様に耳にしておりまする」
「このようなことが起こらぬよう、国衆を試すことにしようと考えておる」
「試すとは」
「それは我々が決めることじゃ。いずれにせよ、松平や他の大名家などと通じておることがわかれば、それにふさわしい処罰を加えるゆえ、井伊肥後守にもそう伝えておけ」
寿桂尼は立ち上がり、政次の顔を正面から見据えてさらに言った。
「ことと次第によっては、かなり厳しい罰を与える。また、もしそなたが肥後守に力を貸したのがわかれば、そなたも同じ裁きを受けることになる。そのように心得ておけ」
またこうも言った。
「このこと、他の者には話すでない。話したことがわかれば極刑じゃ」
寿桂尼の厳しさは有名であったが、この時政次は、それを通り越して恐ろしいとさえ感じた。井伊谷へ戻る馬の背で、政次は、井伊家に対して感じたことを今川家にも感じていた。
(今川家においても、大方様がまるで太守様のようじゃ)
この寿桂尼が命じたことは、その後二年で現実のものとなる。

一方松平元信は、岡崎城に籠っており、名を元康と改めていた。今川家家臣の中には、未だ彼が、織田への守りを固めていると信じている者もいた。ほどなくして元康が織田信長と清須同盟を結んだことから、正室の瀬名や子供たちが処刑されることになり、元康の家臣石川数正が駿府に赴いて、鵜殿長照の子供たちとの人質交換が行われることになる。しかしこの件で、今川が焦っているのも事実であった。
井伊谷に戻った政次は直親に会い、今川家も松平のことで気をもんでいるゆえ、疑いがかかることは避けた方がよいと話しておいた。彼に取っては、そう言うのが精一杯であった。直親はうなずいていたが、政次がそう言ったということで、直平や中野直由は機嫌が悪かった。直平は桶狭間以来、義元がいなくなったこともあり、今川を悪く言うことはなくなったが、その代わり政次を以前にも増して嫌うようになっていた。直親によからぬ考えを吹き込んでいるというのが理由だったが、それを裏付けるものは何もなかった。

その年の暮れ、政次の印象をさらに悪くする事件が起こった。桶狭間で負傷し、事実上の隠居となった奥山朝利が、屋敷で何者かにより殺されたのである。当初は、政次が奥山家に入ったのを目撃されており、井伊家中で人気のない政次が真っ先に疑われた。恐らく今川家にいわれて、井伊の親類衆を殺しまわっているのであろうなどという中傷もあった。しかし、朝利が政次を見送った姿が目撃されていること、そしてその後政次は龍潭寺に行き、南渓と話していることなどから、政次犯人説は退けられた。
また風体の怪しい牢人二人が、その日の夕刻奥山家の周囲をうろついていたことから、物盗りか何かに入り、見つかったため斬ったのではないかということになった。これには、二人に気づかなかった奥山家の家人にも責任があり、うち一人は暇を出された。しかしひよに取っては、父が殺されたことは納得しかねるものがあり、直親にその怒りをぶちまけた。
「但馬ではなかったし、家人もそれ相応の処罰を受けた。そなたにはつらかろうが、ここであれこれ追求するのはやめておけ。腹の子にもさわる」
ひよは黙って聞いていたが、やがて直親の方を見てこう言った。
「殿。殿は信じておいででしょうが、私はあの但馬なる者を好きにはなれませぬ。殿も、かの者にはお気をつけくだされませ」
直親はため息をついた。ひよの父朝利は、どちらかといえば政次に理解のある人物だったからである。

直虎と呼ばれた女 跡を継ぐ者 一

氏真は寿桂尼に言った。
「されば婆様、今の内に手を打っておいた方がようございましょうか」
「手を打つとは、どのように打つのじゃ」
「駿府には、次郎三郎の妻子が人質としております。また、他の国衆たちの親族に当たる者も多数おりますゆえ、彼らを監禁して打ち首とし、見せしめにするのでございます」
「左様な恐ろしきことを申すでない、彦五郎(氏真)」
寿桂尼は呆れたような表情で、孫の顔を見た。
「そなたは如何にも短絡的じゃ。そのようなことをすれば、国衆たちはかえって決起し、この駿府に攻め入ることになる。まず様子を窺うのじゃ」
「様子をと申しましても、どのようにして」
「この今川には譜代の家臣がおる、目付け役もおる。彼らを通して、事情を探り出すのじゃ。これは危ないという者がおれば、その時初めて成敗を考えよ」
「では、松平の妻子はどのように…」
「それはそなたの頭で考えよ」

井伊谷では小野但馬守政次と、新野左馬助が雑事に追われていた。新野は同じ今川の目付ということで、井伊の親戚筋であるにも関わらず、政次に力を貸していた。その政次は翌日、駿府へと向かうことになっていた。
「駿府の方でも、本格的に上総介(氏真)様が太守様ですな」
「今後の井伊家のためにも、色々お話したいことがあります。明日は気を引き締めて行かねばなりませぬ」
政次に取って、この時の駿府行きは生涯忘れられないものとなった。素晴らしいという意味ではなく、むしろその逆であった。この時の駿府行きこそが、まさに、その後の彼の生涯に大きく関わってくるのである。そして政次が下した決断により、新野左馬助は、井伊家の女性たちを我が家に匿うことになるのだが、この時点では二人とも、それを知る由もなかった。

その頃、ひよが身籠ったことがわかった。当初は食欲がなく、気分が悪いということで、暑気あたりではないかと直親も心配したが、子供ができたということでひどく喜んでいた。二人はほどなくして、お千佳のもとを訪れた。この時彼女は既に剃髪し、祐椿尼と名乗っていた。
「それはめでたいことじゃ。次郎、ひよ、元気な子が生まれるといいのう」
それを耳に挟んだとよが言った。
「奥方様、ではこれは私がお知らせを」
「そうじゃの、これは女子のそなたがよかろう」
龍潭寺の次郎に家のことを知らせるのは、家人で忍びでもある清蔵の役目だったが、今回は特別にとよが寺に行くことになった。しかしとよは年齢もあり、寺の石段を登るのがいささか辛くなっていた。
(もう少し若い者に、任せた方がいいかも知れぬ)
とよはそう思いながら、次郎のもとを訪れ、ひよの妊娠のことを打ち明けた。これには次郎も喜んだが、とよが帰った後、もう一組の夫婦のことを今度は思っていた。その夫婦とは松平元信と、その正室の瀬名のことであった。

また今度のひよの妊娠により、高瀬を引き取りたいと直親は申し出ていた。一緒に暮らすことで、姉としての自覚を持たせたいというひよの考えもあった。祐椿尼もとよも、高瀬を手放すのは寂しくはあったが、それが高瀬のためだと思い、高瀬は祝田で暮らすことになった。とよも祝田行きを願い出たが、ここにいてほしいと祐椿尼にいわれ、祝田で侍女として奉公しているまきが面倒を見ることになった。まきはとよと同じ村の出身で、親戚筋でもあった。
当日迎えに来たまきに、とよは高瀬の好物や好きな遊びのこと、手習いのことなどをあれこれ話して聞かせた。
「とよ、もうひよにはすべて知らせてありますから、お前が言うことはありませんよ」
祐椿尼に諭されても、とよはあれこれ話し続けた。そうこうするうちに昼近くなり、とよは流石に話をやめて、まきに連れられて井伊館を去る高瀬を見送った。
「またいつでも遊びに来るがよい」
祐椿尼はそう言って目頭を押さえた。彼女の側ではとよが、片袖を目に当てて泣きじゃくっていた。

直虎と呼ばれた女 二人の次郎 七

井伊の館は、後の世の野戦病院さながらに負傷者であふれていた。家人や家臣の妻たちなどが、手当てに追われてはいたものの、それでも追いつかず、到着して間もなく落命する者もいた。その中に、息子より一足早く帰り着いた奥山朝利もいて、娘であるひよとまつの手当てを受けていた。
「父上、玄番様は…」
朝利は言いにくそうに答えた。
「桶狭間にて討死した」
まつが一瞬顔を伏せたが、何事もなかったように応急手当を済ませ、その後井戸端まで行って号泣した。姉のひよはまつに一声かけ、また母屋へと戻った。そのやり取りを聞いていた小野但馬守政次も、ひそかに涙をぬぐった。
その後も新たに兵たちが戻り、やがて直盛の首も戻って来た。これには井伊家中一同が悲嘆にくれ、次郎にもその知らせがもたらされた。次郎は足早に山門を出て、御初代様の井戸と呼ばれる空井戸へ向かった。井伊家初代である共保が捨てられていたという伝説の井戸だが、周囲の雰囲気が恐ろしくて、子供の頃に一度来て以来、殆ど寄り付いていなかった。しかし今はその井戸に向かって、一人考え事をしたい気分だった。

その井伊の館で、今後の様々なことについて政次も立ち働いていた。指示を出すのはもっぱらお千佳だった。本来であれば、事実上の当主である直親が、お千佳と並んでその場を取り仕切ってもいいはずだったが、直親は親しい家人と口を利くほかは、あたかも傍観するが如くその場に突っ立っていた。
(あれでは、奥方様がまるで当主のようじゃ)
政次はひそかに思った。直親が井伊谷に戻って以来、おとなしくて引っ込み思案だった子供時代とは、まるで人が変わったようになっていたのは、誰もが認めていた。しかしこのような場面になると、子供の頃の気の弱さが、そこかしこに覗くように思われた。今後、この男を家臣として支えなければならないと思うと、政次にはいささか荷が重く感じられた。
(これでは自分が領主になった方がふさわしくはないか)
ふとそのような思いが、政次の頭をかすめた。その時、お千佳が自分を呼ぶ声が聞こえ、政次はその方へと足を速めた。

その後戦死者たちの葬儀が営まれ、直親が井伊家の当主となった。一連の儀式の後、南渓は直親に向かって何やら話していた。次郎もその姿を目にしたが、直親は今の自分からは遠い存在になったように感じた。また、お千佳やひよたちは、家臣の妻たちと言葉を掛け合っていた。ほどなくして直親は、家臣たちの助けを得て評定を行い、政に取り掛かるようになった。
この戦での今川方の敗戦が伝えられたのは、葬儀とほぼ同じ頃のことだった。ほどなくして、三河方面に放たれていた清蔵が戻って来て、三河岡崎城に松平様がいると直親に伝えた。この松平様、すなわち元信は、大高城に兵糧を運び入れるように命じられており、その最中に義元が討ち取られたことを知り、その後岡崎城に家臣を連れて移動していた。

直親に取って直盛は養父だったが、実の父、それも総大将を失った男が駿府にいた。義元の嫡男の氏真だった。織田を討った父が、駿府に凱旋してくることを強く信じていただけに、その討死が伝えられた時は、何もかもに興味をなくし、妻の悔やみも聞こうとせず、部屋に閉じこもってしまった。
義元の母であり、氏真の祖母である寿桂尼は、この孫に対して、駿河の太守のあるべき姿を強く説き、このままでは国衆や地侍が離れて行くと訓戒した。
「松平次郎三郎(元信)が、岡崎城に籠っておるそうじゃ」
「織田への守りでございましょうか」
「何を申す、次郎三郎は我らに刃向かおうとしておるのじゃ。岡崎城はかの者が生まれた城、そこに籠って今川に刃向かうとは、よい度胸をしておるのう。このままでは、この駿河や遠江の国衆たちも、いずれどこぞに寝返るやもしれぬぞ」

直虎と呼ばれた女 二人の次郎 六

次郎は奇妙な思いにかられていた。本来自分が寺に入ったことは、井伊の本領安堵と引き換えのはずだった。それを還俗せよというのは、本領安堵の件はどうなってしまったのか。次郎は直盛に尋ねてみた。案の定、直盛からはこのような答えが返って来た。
「そなたを、今川家の家臣と目合わせれば、本領安堵の件は許すということじゃ」
やはりそうか、と次郎は思った。今川家中の人となるのは気が進まないが、それでも瀬名や夫の元信と会うことはできるかもしれないし、今川の違った面が見えてくるかもしれなかった。しかし、やはり次郎に取って、それは考え難いことだった。
「父上、私は井伊総領家の娘でございます。もし井伊に今後何かありました時に、今川家中に嫁いでいては、できることもできなくなるやも知れませぬ。ありがたいお話ではありますが、やはりお断りしたいと思います」
直盛はうなずいた。この娘の性格からして、一度決めたことを、後から覆すというのは恐らくなかろうと思った。新野は言った。
「されば、この件はまた、我が娘にでも」

その年も新緑の季節となり、井伊家は戦準備に追われていた。井伊家では直盛のほかに、奥山朝利とその息子の孫一郎、そして小野但馬守政次の弟の、玄番も加わることになった。玄番はその前に、奥山の娘でひよの妹のまつと結婚しており、既に男児を儲けていた。直親は、子がまだということで出陣は見送られた。本人はこれを初陣としたがっていたが、嫡子がない状態で、もし討ち死にでもすることがあってはという、直盛の配慮だった。
やがて井伊軍は尾張に向けて発つことになった。無論兵たちの中には、今川に従うことに対し、複雑な気持ちを持つ者もいたが、今回は手柄を立てることが先決と訓戒した直盛は、馬上の人となった。直平はこの期に及んで、今こそ今川義元の首を狙う時ではないかと言ったが、直盛は冷ややかにこう言い返した。
「爺様、私が首だけで戻って参りましたら、ぜひご自身でそのようにしてくださいませ」
その頃松平元信も、金溜塗具足と呼ばれる黄金の甲冑を身に着け、大高城へ向かっていた。彼がこの城に滞在中にもたらされた知らせが、その後の彼の人生を大きく変えることになる。

次郎は井伊、ひいては今川の勝利を祈願していた。その後外に出ると、梅雨時ということもあり、大粒の雨が落ちて来ていた。この雨が、戦を大きく決定づけることになるかもしれないと次郎は思った。
一方井伊軍をはじめ今川の兵たちは、雨のためしばし休息を取っていた。直盛や朝利、そして玄番は、織田とはどのような侍であるのかを、声高に話し合っていた。うつけ者と聞くがという直盛に対し、朝利は、それは噂だかけも知れませぬぞと答えていた。どのような相手であれ、早く手柄を立てたいものでございますと言う玄番。この弟は兄と違い、ひとから好感を持たれる人物で、この場でも一番若いということもあり、雰囲気を大いに盛り上げていた。
そこで孫一郎が戻って来た。何やらかなたの方で、大きな声らしきものがしますが、あれは何でございましょうと言う孫一郎に、父の朝利は、この雨で崖崩れでも起きているのではないかと答えた。しかしその音は段々と近づいて来て、井伊軍をはじめ本陣を守っていた諸軍に襲い掛かった。

それから先はあっという間だった。年若く、戦場での経験がない玄番は、織田兵を相手に戦うも討ち死にし、直盛と朝利は脚に傷を負った。一人孫一郎が何とか斬り防ぎ、義元の本陣へ向かおうとしたが、その時には織田軍の多くが、義元の本陣めがけて突き進んでいる状態だった。義元の輿を目当てに本陣を探し出した織田軍は、警備に当たっていた兵を次々と薙ぎ倒した。ついには大将である義元自身が、自ら応戦しなければならなくなった。
これまでと見た義元は、輿でなく馬で退却しようとしたが、味方の兵はその数を減らし、ついには織田の兵に追いつかれて首を獲られた。首を獲ったのは、毛利良勝(新助)であったといわれている。その頃直盛と孫一郎、そして朝利は東へと馬を走らせていた。三人は途中で道を違え、朝利は孫一郎に、殿をお守りするようにと言って走り去った。しかし直盛の怪我が予想外に重く、途中で数回落馬し、そのたびに孫一郎が手を貸す有様だった。

それから一里ほど駆けて、直盛は馬を止め、孫一郎に言った。
「孫一郎、ここでわしの首を取れ」
思いがけない言葉に孫一郎は当惑した。
「何を仰せられます。井伊谷はもうすぐでございます」
直盛は首を振った。
「最早これ以上は体が言うことを聞かぬ。そなたの手に掛かって死にたい。そして首を取って、織田の兵を装ってその場を切り抜けろ。お千佳と次郎に会えなんだのが残念だ」
脚の傷が、恐らく化膿し始めているのであろう、直盛は痛みで額に脂汗を浮かべながら、孫一郎の前にひざまずいた。
「孫一郎、早う」
孫一郎は主の側に回り、直盛が自刃をしたのを見計らって首を獲った。その後こっそり西へ向かう振りをしながら、山道を通り抜け、井伊谷へ馬を速めた。