保室の事件帳

江戸版ホームズ+大河ドラマリメイク。なお「蜂曽我部家の怪猫」については、大河リメイクの「跡を継ぐ者」が終わり次第アップ予定です。

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直虎と呼ばれた女 次郎法師誕生 三

さらに和泉守は続けた。
「太守様にお声をかけられるまで、頭を上げてはなりませぬ」
ひさはしばらく平伏していた。彼女の後ろにいるとよも同じだった。
ややあって、正面の公家風の男が声をかけた。
「面を上げよ」
ひさは、正面を向いた。目の前のこの人物が、今川義元その人なのだと思った。
「ひさと申したな」
「はい」
「そなたは井伊の家を継ぐつもりでおろう」
ひさは返答に窮したが、父の「いいと思うのなら、太守様に申し上げろ」の言葉が脳裏をよぎった。
「私は…家を継ぐのではなく、出家したいと考えております」

「出家とな。しかしそなたが出家すれば、井伊の家を継ぐ者はおらぬぞ」
ひさはうろたえた。亀之丞がもし戻ればと言いたかったが、ここで亀之丞の名を持ち出すことは、新野の伯父からも、とよからも戒められていたのである。ひさはそれ以上、義元の意に叶う返事を見つけられなかった。
「ははは、よいであろう。そなたがもし出家するのであれば、それと引き換えに、そなたの父の所領は安堵いたす。その旨直盛にしかと伝えておけ」
ひさは答えられない口惜しさと、父の所領が安堵されることを聞いたのとで、何か気が抜けたように思った。無論これは和泉守と話がついており、ひさの出家も念頭に置いたうえでのことで、いわば今川からの、ひさへの最終確認のようなものだった。

無論ひさが、寺の生活の何たるかをきちんと心得たうえで、出家したいと言ったかどうかは定かでない。ただし、今川と縁組をさせられることに、あまり乗り気でなかったのは確かであり、和泉守もその旨を直盛から伝えられていて、折衝を繰り返した後の結論だった。
その後ひさは寿桂尼と会った。こちらは寿桂尼の居間で、こじんまりとした作りだった。しかしこの部屋の主は、尼僧姿でありながら、普通の女には見られない鋭さと覇気があった。

「そなた、名は何と申す」
「ひさと申します」
「どのような字を書くのじゃ」
「ことぶき、という字を書きます」
「それは、我が名と同じであるのう」
寿桂尼は、相手が子供ということもあるのか、初対面には珍しく笑みを見せ、その後龍王丸や瀬名のことを話した。ひさも廊下を進む時、龍王丸の姿が目に入った。水干を身に着けた、如何にも貴族的な雰囲気の少年だった。
寿桂尼との対面は短時間であったが、別れ際に寿桂尼はこう言った。
「そなたとは、何かの縁があるような気がしてならぬ」

こうしてひさは出家し、次郎法師と名乗ることになった。井伊家の嫡男に代々伝わる通称を、そのまま法名としたのである。また尼でなく、僧として寺に入ることになった。これは、いざという時に還俗可能なようにという、南渓瑞聞の配慮であった。丸坊主になったひさを、直盛もお千佳も、そしてとよも感慨深げに見ていた。ひさは両親に別れの挨拶を述べ、南渓が住職を務める龍潭寺へと向かった。

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