保室の事件帳

江戸版ホームズ+大河ドラマリメイク。

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直虎と呼ばれた女 次郎法師誕生 五

義元にしてみれば、井伊は喉に刺さった小骨のような存在でもあった。義元と玄広恵探が跡目争いを繰り広げた花倉の乱でも、井伊、あるいは北条と縁組をした、元遠江守護の堀越などは、恵探側についていた。またその後、甲斐武田氏との関係を強化した義元に対し、北条氏綱が駿河へ侵攻して、富士川の東を占拠してしまった。所謂第一次河東一乱である。この時西からは、北条と同盟した堀越や井伊が反撃に出て、今川は苦戦を強いられた。

その後この富士川東部は、北条の支配するところとなるが、ひさが寺に入った翌年の天文14(1545)年、義元は関東管領上杉氏に働きかけて北条を挟み撃ちにし、結局武田晴信の仲介により和睦した。その翌年には、北条は河越城の戦いで上杉氏を退け、これによって扇谷上杉氏は滅亡、生き延びた山内上杉氏も、急速に弱体化する破目になった。北条はその後さらに力を伸ばし、山内上杉氏は最終的には越後に逃げ、上杉の名跡を長尾景虎に譲ることになる。

その一方でひさ、すなわち次郎法師は、僧としての生活に少しずつ馴染んで行き、やがて一人部屋を与えられた。時間が出来た時には、南渓から借りた本を読むこともあった。しかしそれらの本はなかなか難しく、次郎の手に負えないこともあった。今川や武田、北条といった大名たちの争いも、この井伊谷においては無縁とは行かずとも、さほどに影響することはなく、比較的平和な生活が保たれていた。しかしこれらの大名たちが、同盟関係を結んだ天文23(1554)年から、徐々にそれは変化し始めた。

この年数えの二十歳になった次郎は、元服して、小野但馬守政次と名乗るようになったかつての鶴丸から、ある情報をもたらされた。三国による同盟が締結されたことにより、武田晴信が信濃で越後の長尾景虎と直接対決する機運が高まったことを受けて、亀之丞が戻ってくることになったのである。
「嬉しくはないのか」
「嬉しくなくはないが、私は既に出家の身であるし…」
次郎に取っては嬉しくもあり、かといって、今更亀之丞の妻になることも考えられなかった。

政次は言った。
「そなたが還俗しなければ、どこかの家の娘御と一緒になるのであろう」
次郎はそれでもよかった。少なくとも、井伊の跡を継ぐ者が帰って来てくれれば、それに異存はなかった。これを知らせてくれた政次も、遠縁の娘と近々結婚予定であった。政次は、それが好みなのか、あるいは父にいわれたのか、和泉守そっくりの黒っぽい服装をしており、さらに父親に似て来たように見えた。

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