保室の事件帳

江戸版ホームズ+大河ドラマリメイク。

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直虎と呼ばれた女 二人の次郎 五

この頃、直盛は戦以外に二つの悩みを抱えていた。ひとつは、次郎の今後の身の振り方についてだった。十歳の時に、本領安堵とのいわば引き換えに、寺に入れて既に十五年の月日が経っていた。無論還俗させて、亀之丞とめあわせることも考えていたが、高瀬を連れて戻って来た以上、それは難しくなった。それでも次郎が、是非とも直親と夫婦にとでも言うのであれば、まだ考えもしたが、本人にその気はなさそうだった。
直盛は新野左馬之助に頼み、今川家の家臣の中で、よい相手があれば嫁がせようかと考えた。無論年齢も二十五となり、そのため正室や側室に加え、継室(後添い)も視野に入れていた。しかしこればかりは、本人に還俗の遺志がなければ不可能だった。そのため次郎を一度井伊館に呼び、この件を切り出してみることにした。

もう一つは、直親夫妻に子ができないことだった。このためひよはしばしば龍潭寺に通って祈願をし、また不妊に効くといわれる薬を飲んだり、直親に精のつく食事をさせたりもしていた。ひよはそのことで思いつめており、しばしば祝田の屋敷から、井伊館に来て、高瀬の世話を焼くようになって行った。またお千佳に、高瀬をぜひ養女に迎えたいとも言っていた。
お千佳はそんなひよに、自分と重なる部分を見出していた。かつてひさ、つまり次郎を出産した後、男児を生むことができず、その反動としてひさを猫かわいがりにしてしまい、直盛に叱られたことがあった。お千佳はひよに、まず子供を授かってから、その後に養女に迎えればいいと話したが、ひよはそのことで、益々自らを責めるようになって行った。この件では、直親の姿勢にも問題があった。直親はひよと子供のことについて、あまり話し合ったことがなく、食事には不平を言わなかったが、このことについて真剣に考えた様子はなかった。

直盛は、側室を置くことも考えていた。しかしそれをすれば、今川方の娘を側室にということにもなりかねなかった。かつて男児が生まれず、側室を置くべきかどうか迷いながら、直盛が断念したのも、そのようないきさつがあったからだった。しかしどちらかといえば、これは直盛の考えというよりも、今川嫌いの直平の意見が大きく反映していた。
しかし奥山家の遠縁で、夫を亡くし、しかも男児が一人いる女性がいることがわかった。既に出産経験があるということは、井伊家の嫡男を生むうえでも好都合であり、さらに腹違いの兄がいるということで、これは心強く感じられた。しかし直親がそのことをひよに話してしまい、ひよはかなり動揺した。それでなくても、別の女性との間に生まれた高瀬がおり、今後さらに、子を持つ別の女が井伊家に入って来ることで、自分の立場がなくなるように感じたのである。この夫婦のぎくしゃくした関係は、その後しばらく続く。

一方直盛は、清蔵を三河にやっていた。三河は既に今川の支配下となり、しかもこの次の戦では、最前線となる地域であった。しかも尾張の東、伊勢湾に面した地域も今川のものとなっており、伊勢湾の海運利権が、織田から今川に移っても何の不思議もなかった。その一方で織田では、今川方の砦を攻め落とし、また織田方の砦を新たに築いて、三河から尾張に至る地域には、緊張が走っていた。
清蔵からそのことを聞いた直盛は、近いうちに戦が避けられなくなること、そのためにも、次郎と直親に言うべきことを言っておかねばならぬと、決意を新たにした。その年の春、次郎は井伊館を久々に訪れ、父と母、そして伯父の左馬助から、嫁入りの件を切り出された。しかし次郎は言った。
「父上、母上、そして伯父上。せっかくのお申し出ではございますが、私は既に寺の生活に馴染んでおり、生涯を出家の身で過ごしたいと考えております」

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