保室の事件帳

江戸版ホームズ+大河ドラマリメイク。なお「蜂曽我部家の怪猫」については、大河リメイクの「跡を継ぐ者」が終わり次第アップ予定です。

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直虎と呼ばれた女 二人の次郎 七

井伊の館は、後の世の野戦病院さながらに負傷者であふれていた。家人や家臣の妻たちなどが、手当てに追われてはいたものの、それでも追いつかず、到着して間もなく落命する者もいた。その中に、息子より一足早く帰り着いた奥山朝利もいて、娘であるひよとまつの手当てを受けていた。
「父上、玄番様は…」
朝利は言いにくそうに答えた。
「桶狭間にて討死した」
まつが一瞬顔を伏せたが、何事もなかったように応急手当を済ませ、その後井戸端まで行って号泣した。姉のひよはまつに一声かけ、また母屋へと戻った。そのやり取りを聞いていた小野但馬守政次も、ひそかに涙をぬぐった。
その後も新たに兵たちが戻り、やがて直盛の首も戻って来た。これには井伊家中一同が悲嘆にくれ、次郎にもその知らせがもたらされた。次郎は足早に山門を出て、御初代様の井戸と呼ばれる空井戸へ向かった。井伊家初代である共保が捨てられていたという伝説の井戸だが、周囲の雰囲気が恐ろしくて、子供の頃に一度来て以来、殆ど寄り付いていなかった。しかし今はその井戸に向かって、一人考え事をしたい気分だった。

その井伊の館で、今後の様々なことについて政次も立ち働いていた。指示を出すのはもっぱらお千佳だった。本来であれば、事実上の当主である直親が、お千佳と並んでその場を取り仕切ってもいいはずだったが、直親は親しい家人と口を利くほかは、あたかも傍観するが如くその場に突っ立っていた。
(あれでは、奥方様がまるで当主のようじゃ)
政次はひそかに思った。直親が井伊谷に戻って以来、おとなしくて引っ込み思案だった子供時代とは、まるで人が変わったようになっていたのは、誰もが認めていた。しかしこのような場面になると、子供の頃の気の弱さが、そこかしこに覗くように思われた。今後、この男を家臣として支えなければならないと思うと、政次にはいささか荷が重く感じられた。
(これでは自分が領主になった方がふさわしくはないか)
ふとそのような思いが、政次の頭をかすめた。その時、お千佳が自分を呼ぶ声が聞こえ、政次はその方へと足を速めた。

その後戦死者たちの葬儀が営まれ、直親が井伊家の当主となった。一連の儀式の後、南渓は直親に向かって何やら話していた。次郎もその姿を目にしたが、直親は今の自分からは遠い存在になったように感じた。また、お千佳やひよたちは、家臣の妻たちと言葉を掛け合っていた。ほどなくして直親は、家臣たちの助けを得て評定を行い、政に取り掛かるようになった。
この戦での今川方の敗戦が伝えられたのは、葬儀とほぼ同じ頃のことだった。ほどなくして、三河方面に放たれていた清蔵が戻って来て、三河岡崎城に松平様がいると直親に伝えた。この松平様、すなわち元信は、大高城に兵糧を運び入れるように命じられており、その最中に義元が討ち取られたことを知り、その後岡崎城に家臣を連れて移動していた。

直親に取って直盛は養父だったが、実の父、それも総大将を失った男が駿府にいた。義元の嫡男の氏真だった。織田を討った父が、駿府に凱旋してくることを強く信じていただけに、その討死が伝えられた時は、何もかもに興味をなくし、妻の悔やみも聞こうとせず、部屋に閉じこもってしまった。
義元の母であり、氏真の祖母である寿桂尼は、この孫に対して、駿河の太守のあるべき姿を強く説き、このままでは国衆や地侍が離れて行くと訓戒した。
「松平次郎三郎(元信)が、岡崎城に籠っておるそうじゃ」
「織田への守りでございましょうか」
「何を申す、次郎三郎は我らに刃向かおうとしておるのじゃ。岡崎城はかの者が生まれた城、そこに籠って今川に刃向かうとは、よい度胸をしておるのう。このままでは、この駿河や遠江の国衆たちも、いずれどこぞに寝返るやもしれぬぞ」

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