保室の事件帳

江戸版ホームズ+大河ドラマリメイク。なお「蜂曽我部家の怪猫」については、大河リメイクの「跡を継ぐ者」が終わり次第アップ予定です。

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直虎と呼ばれた女 跡を継ぐ者 二

政次は駿府に到着した。衣服を整え、まず太守である氏真に目通りした。
「このほどは先の太守様のご逝去、お悔やみ申し上げます」
「堅苦しい挨拶はよい、但馬」
氏真は如何にも良家の子息らしい、人のよさそうな笑みを浮かべた。
「それよりも今後如何に、我が領地を取り仕切って行くか。岡部や朝比奈、庵原などの力も借りてはおるが、そなたにも井伊のことをこまめに報告してもらいたい」
政次は意外だった。肝心の松平元信に関する言葉が、まるでなかったのである。しかし氏真にそれなりの考えがあるのだろうと思い、深々と頭を下げた。
「それよりも、婆様がそなたに話があるそうじゃ」
「大方様がでございますか」
政次は今川家の家人に案内され、寿桂尼の居間へ向かった。寿桂尼は、この当時でいえば高齢ではあったが、背筋を伸ばして座っていた。
「但馬か」
「大方様、この度は…」
「堅苦しい挨拶は要らぬ」
先ほどの氏真と同じ答えが返って来た。
「そなたのみならず、国衆の目付たちに命じていることがある。心して聞いて給れ」

寿桂尼は、政次に近う寄れと命じた。
「そなたも知っておるであろうが、松平次郎三郎がこの今川に盾突いた」
「左様に耳にしておりまする」
「このようなことが起こらぬよう、国衆を試すことにしようと考えておる」
「試すとは」
「それは我々が決めることじゃ。いずれにせよ、松平や他の大名家などと通じておることがわかれば、それにふさわしい処罰を加えるゆえ、井伊肥後守にもそう伝えておけ」
寿桂尼は立ち上がり、政次の顔を正面から見据えてさらに言った。
「ことと次第によっては、かなり厳しい罰を与える。また、もしそなたが肥後守に力を貸したのがわかれば、そなたも同じ裁きを受けることになる。そのように心得ておけ」
またこうも言った。
「このこと、他の者には話すでない。話したことがわかれば極刑じゃ」
寿桂尼の厳しさは有名であったが、この時政次は、それを通り越して恐ろしいとさえ感じた。井伊谷へ戻る馬の背で、政次は、井伊家に対して感じたことを今川家にも感じていた。
(今川家においても、大方様がまるで太守様のようじゃ)
この寿桂尼が命じたことは、その後二年で現実のものとなる。

一方松平元信は、岡崎城に籠っており、名を元康と改めていた。今川家家臣の中には、未だ彼が、織田への守りを固めていると信じている者もいた。ほどなくして元康が織田信長と清須同盟を結んだことから、正室の瀬名や子供たちが処刑されることになり、元康の家臣石川数正が駿府に赴いて、鵜殿長照の子供たちとの人質交換が行われることになる。しかしこの件で、今川が焦っているのも事実であった。
井伊谷に戻った政次は直親に会い、今川家も松平のことで気をもんでいるゆえ、疑いがかかることは避けた方がよいと話しておいた。彼に取っては、そう言うのが精一杯であった。直親はうなずいていたが、政次がそう言ったということで、直平や中野直由は機嫌が悪かった。直平は桶狭間以来、義元がいなくなったこともあり、今川を悪く言うことはなくなったが、その代わり政次を以前にも増して嫌うようになっていた。直親によからぬ考えを吹き込んでいるというのが理由だったが、それを裏付けるものは何もなかった。

その年の暮れ、政次の印象をさらに悪くする事件が起こった。桶狭間で負傷し、事実上の隠居となった奥山朝利が、屋敷で何者かにより殺されたのである。当初は、政次が奥山家に入ったのを目撃されており、井伊家中で人気のない政次が真っ先に疑われた。恐らく今川家にいわれて、井伊の親類衆を殺しまわっているのであろうなどという中傷もあった。しかし、朝利が政次を見送った姿が目撃されていること、そしてその後政次は龍潭寺に行き、南渓と話していることなどから、政次犯人説は退けられた。
また風体の怪しい牢人二人が、その日の夕刻奥山家の周囲をうろついていたことから、物盗りか何かに入り、見つかったため斬ったのではないかということになった。これには、二人に気づかなかった奥山家の家人にも責任があり、うち一人は暇を出された。しかしひよに取っては、父が殺されたことは納得しかねるものがあり、直親にその怒りをぶちまけた。
「但馬ではなかったし、家人もそれ相応の処罰を受けた。そなたにはつらかろうが、ここであれこれ追求するのはやめておけ。腹の子にもさわる」
ひよは黙って聞いていたが、やがて直親の方を見てこう言った。
「殿。殿は信じておいででしょうが、私はあの但馬なる者を好きにはなれませぬ。殿も、かの者にはお気をつけくだされませ」
直親はため息をついた。ひよの父朝利は、どちらかといえば政次に理解のある人物だったからである。

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