保室の事件帳

江戸版ホームズ+大河ドラマリメイク。なお「蜂曽我部家の怪猫」については、大河リメイクの「跡を継ぐ者」が終わり次第アップ予定です。

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直虎と呼ばれた女 跡を継ぐ者 三

奥山朝利の一件もどうにか落ち着き、ひよは臨月が近くなっていた。侍女とその日のための準備をしながら、まきと遊ぶ高瀬を見るのが、彼女の楽しみとなりつつあった。時々はまつが亥之助を連れて遊びに来ることもあり、母親としては先輩の妹から、色々なことを教えてもらうのも、ひよに取っては嬉しかった。
明くる永禄四(1561)年の春、ひよは男児を出産した。虎松と名付けられたその子は、井伊家に明るい話題をもたらした。小野但馬守政次も、この吉事を喜び、駿府へもそのことを知らせた。しかし駿河遠江の国衆たちの中では、依然として不穏な動きがあり、駿府では虎松を人質にという声さえあったが、政次にはそのことは知らされていなかった。

この頃は、政次に取ってものんびりできる時期だった。しばらく会話も交わさずにいるうちに、子供たちは大きくなり、長男の鶴丸は五歳になろうとしていた。これを機に、鶴丸は寺へ手習いに行かせることにした。かつて自分が通っていた寺へは、今は中野直由の息子が通うようになっていた。いずれ甥の亥之助、あるいは出生間もない虎松も、この寺に通うことになるのだろうと思うと、かつての自分や直親の姿がだぶり、感慨深いものがあった。
一方次郎法師は、すっかり俗世と縁を切り、寺で過ごしていた。虎松のことを聞き、これで自分も還俗することはなくなったと考えていた。しかし心のどこかで、あるいは何かの理由で、自分が実家に戻ることも考えていなくはなかった。虎松が生まれはしたものの、井伊家の跡目は未だしっかりしているとはいえなかった。そのためにも、自分がどこかから養子を貰うことも視野に入れておく必要があると、そう思っていた。

この時期、松平元康の妻瀬名は、駿府にいて軟禁状態だった。子供たちが父に会いたがっているのに会わせることもできず、太守様のお下知で三河にいると言うより他はなかった。瀬名は次郎に文を送ったが、無論ことの次第を詳しく書けるわけもなく、駿府にいること、元康と離れているのは寂しいことなどが綴られていた。
次郎は、自分も今川家中に嫁いでいたら、同じようなことになり、井伊にも影響が及んだかもしれないと考えていた。その意味では、あの時縁談を断ったのは正しいといえた。しかし父の死後、母祐椿尼から、自分の花嫁姿を一目見たかったと話していたことを聞かされ、その時は流石に涙がこぼれた。

この年は信濃の川中島において、武田信玄の軍が、上杉方と四度目の合戦を行っていた。この時、信玄の弟である信繁が戦死し、このことが将来的に、武田に、さらには今川に影響を及ぼすようになる。そして三河では、元康が直に足利将軍家と接し、今川から独立した勢力として認めてもらう準備を、着々と整えつつあった。
そして、その年も暮れ、永禄五(1562)年が訪れた。それまで比較的平和だった井伊家は、この年から歴史の中に巻き込まれて行くことになる。しかし、正月の時点では誰もまだそのことを知らずにいた。政次でさえ知ることはなく、冬の穏やかな日差しの中で、祝い酒を酌み交わし、今後の井伊家の発展と、虎松の健やかな成長への願いを家臣たちが口にしていた。

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