保室の事件帳

江戸版ホームズ+大河ドラマリメイク。

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直虎と呼ばれた女 跡を継ぐ者 四

この年に入って、松平元康は織田信長と接し、軍事同盟を結んだ。これで元康が、今川に敵対する勢力に回ることになったが、これを聞いた今川氏真は、瀬名と子供たちを誅するように命じる。しかしこれに関して、思わぬ裏切り者がいた。それは氏真の祖母寿桂尼であった。これを聞きつけた寿桂尼は、密書を三河に送り届けた。元康の家臣石川数正が駆けつけ、鵜殿長照の子供たちと、元康の妻子との人質交換を迫ったのはこの時であった。
松平の屋敷は、今川の兵たちに囲まれていた。ある時、嫡男竹千代が手に持っていた独楽を落とし、外へ出ようとした。それを見た瀬名は、鋭く叫び声を上げた。
「竹千代、外に出てはなりませぬ」
母の声に驚いた竹千代は、独楽を拾うと兵たちの間を潜り抜け、母のもとへ戻った。袖にしがみつく息子に、瀬名は言い聞かせた。
「この者たちは、いざという時に備えて屋敷を守ってくれているのです。ですからそなたも、うかつに外へ出たりしてはなりませぬ。わかりましたね」
兵たちは瀬名に一礼した。瀬名は彼らにしてみれば、敵となった元康の妻であっても、やはり今川家中の娘に変わりはなかった。しかし瀬名が三河へ向かった後、父は切腹し、母は出家することになる。

このことをしたためた瀬名の文が、ある山伏により次郎に届けられた。その山伏は名を松下常慶といい、松平家臣の弟で、南渓とも誼が深かった。しかし瀬名は、その後三河に戻って以来、文を送らなくなった。送らないというより、送れないといった方が正しかった。常慶を通したとしても、今川の敵となった自分が文を寄越すことにより、次郎があらぬ疑いをかけられかねなかったからである。
同じ頃、やはり松平からの手紙が直親のもとに届いていた。こちらも松平からではあったものの、直親はさして気にも留めずに目を通した。文は元康の重臣、酒井忠次からの物で、一度お会いできないだろうかといった内容が綴られていた。しかし政次はかぶりを振った。
「それは成りませぬ。偽手紙ということも考えられます」
「そなたは少し疑い過ぎではないのか」
「重臣を騙って、敵をおびき寄せるのは調略の常套手段でございます。簡単にお信じになりませぬよう、どうぞ捨て置かれくださいませ」

しかしそれから一月ほど経った頃、同じような文面の手紙がまたも送られて来た、酒井殿は本気ではないのかという直親の問いに、政次はひたすらかぶりを振り続けた。相手は焦っているのだろうと感じていた。多分、寿桂尼が言ったのはこのことだったのだろう。
それから二月近く経って、同じ手紙がまた届いた。ついにしびれを切らした直親は、政次に諮ることなく自分で返事を書き、それを清蔵に持たせようとした。しかし清蔵はたまたま駿府にいたため、その弟子に当たる若い忍びにそれを持たせ、手紙にあった忠次の陣へと送り込んだ。ほどなくしてその返事が持ち帰られたが、そこには三河のとある寺で会う旨がしたためられていた。

政次はその忍びから、このことを聞かされて立腹し、同時にうろたえた。反今川勢力と井伊が手を組んだも同然であるのに加え、これが今川の罠である可能性も捨てきれなかった。どちらにしても、今川に直親を処罰するための、最大の口実を与えたようなものだった。
(まずいことをしてくれたものよ)
この点直親は、やはり領主としては脇が甘すぎた。既に本人はその気になって支度を整えていた。政次が再三注意しても、取越し苦労じゃと言うことを聞かなかった。無論、寿桂尼の言葉を今更伝えるわけにも行かず、政次は赤く色づいた木々の葉を見つめながら、今後の自分について思いを巡らせた。
(事と次第によっては、あの殿を裏切ることになるだろう)
この時政次は初めて、「裏切り」を考えたのである。

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