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保室の事件帳

江戸版ホームズ+大河ドラマリメイク。

フルバックの失踪 六

「帝大の火村先生ですか」
その男、まだ二十歳前後の青年が我々の前に立ちふさがりました。
「僕を探していたのでしょうか」
青年は一見優男風でしたが、スポーツをやっている人物らしく、肩の辺りがごつく、如何にも筋肉質といった体つきで、白のシャツと黒いズボンの上にカーディガンを羽織っていました。
「須藤剛太郎さんですね」
「はい」
「丈武先生から、貴方のことは聞いていました」
須藤は何もかもを悟った顔つきになり、そしてこう尋ねました。
「あの薬代のことも聞かれたのでしょうか」
「はい、かなり高額な薬だったようですが、何に入り用だったのでしょう」
丈武は黙って、我々を奥へと案内しました。部屋の外から漏れて来る線香の匂いから察して、誰かが亡くなったというのがわかりました。
「こちらです」
須藤が障子を開けた部屋には、白い布を被せられた遺体が、布団に横たえられていました。
「丈武先生にお願いした薬も、もう無駄になってしまいました」

我々は須藤の横に座り、遺体に手を合わせました。
「丈武先生はどこへ行かれたのです」
「試合を観に行ってくださっています。僕が出られなくなった試合を」
その後2時間ほどは無常に流れて行きました。須藤が気を利かせ、別室で茶を勧めてくれましたが、とてもこの雰囲気の中、茶を飲みつつ雑談と言うわけにも行かず、ひたすら重い雰囲気が我々を取り囲んでいました。
そうするうちに表の戸が開き、丈武が中に入って来ました。
「あなた方は…」
「お留守に失礼しております」
「火村正太郎さんと和田先生かね、別にあなた方に話すようなことは…」
「いえ、貴方ならご存知のはずです。なぜこのようないきさつに至ったかを」
丈武はしばらく黙っていましたが、やがてことの次第を説明し始めました。丸田次郎兵衛は剛太郎の後見人であり、自分が認めた女性でないと結婚させなかったこと、しかし剛太郎は他に好きな女性がいて、そのため仕送りもろくにして貰えなかったこと、さらにその女性が病気になり、剛太郎はなけなしの金で薬を買おうとしたことなどを、逐一話してくれました。剛太郎もそれには異存がないようで、黙ってうなずいていました。
「以上がすべてです」
「須藤さん、今後はどのようにするつもりですか。丸田屋とよりを戻すのですか」

「それは決めていませんが、学校を出たらしかるべき法律事務所で働く予定です。その時点で、丸田屋さんとの縁は多分切れるでしょう」
須藤は既に何かを決意したような口ぶりで、そしてこう尋ねました。
「ところで試合の方はどうなりましたか」
「三高が勝ったよ。君という名フルバックを欠いた同志社は、なすすべがなかったな」
「そうでしたか。明日の新聞に、僕が出場しなかったから負けたと書かれるのでしょうかね」
須藤は苦笑いを浮かべつつ、丈武に聞いて葬儀の準備をするつもりのようでした。部外者である我々はこの家を出て、外につないでいたポンピを元の飼い主に戻し、この事件はこれで終止符を打ちました。
その夜、火村の下宿で私は湯豆腐をご馳走になり、翌日は医院での通常の仕事に戻りました。それかかれこれ半年ほど経った頃、私は須藤からの手紙を受け取りました。無事卒業して法律事務所に就職したこと、英学校はその後大学となったことなどがしたためられていましたが、丈武のことは一言も書かれていませんでした。
私も最早、それ以降の追及をしようとは思わなくなりました。ことの真相がわかるのは、この時中学校に通っていた甥が、この大学に進学してからのことになります。この丈武とラグビー選手たちとの関わり合いについては、また日を改めてからお話しすることにしましょう。
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フルバックの失踪 五

火村は数分ほど椅子に座っていましたが、やがて何を思いついたのか。電報は今からだと間に合うかなと言い、郵便局へ走り、ものの十分ほどで戻って来ました。
「これでよし、と。あの先生は人力車を移動に使っているから、すまんが何か強いにおいのする薬を少し貰えないか」
「それはいいが、そういうのを飲んでどうするんだ」
「飲むんじゃないよ、尾行するのさ。ところで明日は午後から休診だろうからまた付き合ってくれ」
火村は看護婦が渡した、小瓶入りのマンネンロウ(ローズマリー)の精油を受け取って医院を出て行きました。須藤と言う学生の居場所も気になりましたが、このフルバックを欠いた同志社英学校が、第三高等学校相手にどのような試合をするのか、それも私は気になりました。
その翌日のことです。
最後の患者が帰るのを見送ってから、私は身支度を始めました。やがて火村もやって来たので、まずは腹ごしらえをしようと私は持ちかけました。
しかし火村は言いました。
「既に俺は精力をつけているから大丈夫だ。もし食事がまだなら、何か食べておけよ」
「精力て、何かもう食べたのか。それとも何か薬でも」
「詳しいことはここでは言わない。それよりも、ほら急いで」

私は火村に言われるままに、外へ出てとあるうどん屋へ入り、そこで食事を済ませました。
「終わったか。じゃこれから少し遠出をするから来て貰いたい」
火村はそう言って、私を連れて丈武の家の方を目指しました。しかし家に向かうのではなく、その手前の家の前に行き、大声でその家の主人を呼んだのです。その主人は、小型の洋犬を抱いて現れました。
「やあこれは火村先生、電報を拝見しました。お約束のポンピです」
火村はポンピと呼ばれたまだらの犬を受け取り、首に紐を付けました。
「では今夜までお借りします」
火村は主人に頭を下げ、元来た道を戻り始めました。
「おいおい、犬を使って何をするつもりだ」
「昨日の精油を使って、丈武を尾行するのさ。この犬は走るのは早くないが、においを嗅ぐのに優れていてね、猟には欠かせないんだ。ほらポンピ、このにおいがわかるか」
ポンピは地面を嗅ぎまわっていましたが、やがてある方向へ我々を導いて行きました。
「実は医院に行く前に、丈武邸の前に止まっていた人力車の車輪に、例の精油を振りかけておいたのさ。ほらほらポンピ、そんな場所まで行くのか」
追跡は意外に時間を要しました。恐らくは丈武が我々をまこうとして、あちこち人力車を走らせたせいでしょう。

最終的に我々は、市街地から離れた農家の近くまでやって来ました。
「どうやらあの農家かな」
火村はポンピの頭を撫で、私は久々にここまで激しい運動をしたので、膝に手を置いて呼吸を整えていました。するとその農家の縁側に、見たことのある男が出て来ました。
「隠れよう」
我々とポンピは、生け垣の陰に身を潜めました。確かにあの丈武玲四郎でした。
丈武は何か用があるのか、そのまま家を出て行きました。それを見届けた火村はポンピを生垣につなぎ、家の方へ向かったので、私もその後を追いました。
農家の入り口は錠も何もかかっておらず、我々は簡単に中に入ることができました。
「どなたかおられませんか」
火村が声をかけても中には誰もいないようで、ただ人の泣き声とおぼしきものが、階上から聞こえてきました。
「何だか薄気味悪い家だな」
「誰も住んでいなさそうだな。しかし隠れ家としては好都合だったわけだ」
「隠れ家…なのか、ここは」
「その通りだ」
火村はそう言って、二階の手前の部屋の障子を開けました。そこでは思いもかけない光景、そして思いもかけない人物が、我々を出迎えたのです。

フルバックの失踪 四

丈武は嫌そうな顔をしました。
「火村さん、言っておくが、私はこの件について貴方に説明する義務はない」
「しかし、ラグビー・フットボールの選手が一人、行方不明になっている。その選手が貴方にいくらかの金を払っている。関係ないでは済まされませんよ」
「出て行ってくれ」
丈武は、机の上に手を置いて立ち上がりました。
「どっちみち丸田屋の差し金で来たのだろうが、私はもう何も聞きたくもないし話したくもない」
そう言って丈武は部屋のドアを開け、何か大声で叫びました。すると向こうから大柄な男がやって来ました。
「どうぞお帰り下さい」
我々はその男に勧められるまま、玄関へ向かいました。態度こそ丁寧でしたが、とにかくこの男に抵抗しようものなら、腕の一本や二本はへし折られるのではないか、そういう凄みがある男でした。
「用心棒か何かかな」
火村はそう言いながら、やって来た方向とは反対に、帝大の方向へ東へ進んで行きました。
「あそこに宿屋があるだろう、今日はあそこに泊まろう」

どうやら火村は、丈武の行動を見張るつもりのようでした。我々はその小さな宿屋でおいでやすと迎えられ、二階の部屋に案内されました。しかし火村はちょっと出かけてくると言い、私は一人、今日起こったことを頭の中で整理していました。その内夕食の時刻になりましたが、火村は帰ってくるようには見えませんでした。
「あの、お連れさんはどないしはったんですか」
女中がこう聞いて来たので、私は戻るのがいつになるかわからないと言い、帰って来た時のために、握り飯と漬物を準備させておきました。
やがて夜の10時を回った頃、火村がやっと戻って来ました。そして話をするのももどかしそうに俵型に握られた飯と、すぐきの漬物を胃の腑に落とし込んでいました。
「もっとゆっくり食べた方がいいぞ」
「いや、思いがけない収穫があった。まずあの家の前の人力車の車夫に尋ねてみたが、これが全く取り合って貰えず、近所の豆腐屋や呉服店で情報を仕入れたんだが、どうもあの丈武は毎日のように、特定の場所へ出かけているらしい。そこで人力車をつけようとして、この近くで自転車を借りたんだが…」
「借りたんだが」
「失敗した。何せ街中では意外に自転車での尾行は難しいし、それにまかれてしまったからな。ただ丈武は、須藤の行方を知っていると思われるし、恐らくはその、どこかに身を潜めている須藤に会いに行っていると思われる」

「しかし試合に出るはずの須藤が、なぜ身を隠す必要があるんだ」
「よくわからないが、人には言えない秘密があるとか、病気とか、いくつかの理由は考えられる」
しかしその翌朝、我々は丈武から一通の手紙を受け取ることになりました。その手紙にはこう書かれていました。
「火村殿
前略
私をつけておられるようだが、そのようなことは何の益にもならないので、今すぐやめられたし。あまり妙なことをなさっていると、帝大の教授に訴える用意があるからどうぞそのつもりで。尚須藤君の件については、私の預かり知らぬことである。
草々
丈武玲四郎」
「随分あからさまに物を言う先生だな。ただちょっと焦っている」
火村はその手紙を内ポケットにしまい込みました。私は生憎その日は診療があるため、医院へ戻らなければならず、取りあえずそこで別れることになりました。
そしてその日の午後遅く、火村は医院へやって来ました。
「やはり期待外れだったな。しかしそれならそれで、こっちも策を練らなければならない」

フルバックの失踪 三

「丸田屋さん」
火村は老人の方を向いて尋ねました。
「ひとつ伺いたいのですが、須藤君がいなくなった件について何かご存知では」
「何を言う。あいつはもう一人前やさかい、わしも知らへん」
「そうですか」
火村はその後、下書きと思しき紙切れを手にして、私と共に郵便局へ急ぎました。
「すみません、実は昨日打った電報に、名前を書き忘れたようなのですが、調べて貰えますか」
局員は控えの綴りを見ながら、我々に尋ねました。
「何時ごろでしたか」
「午後三時頃です」
「宛先は…」
局員が尋ねるのを、遮るようにして火村は言いました。
「最後にオネガイシマスとあるのですが」
「これでしょうか」
局員が控えの一枚を見せ、火村は納得したようにうなずいてこう叫びました。
「これだこれ、いやどうもありがとう。返信が来ない理由がわかりました」
私は、火村が何を考えているのかさっぱりわかりませんでした。

火村はにやつきながら、例の電報の下書きを見せましたー正確には下書きではなく、インクで書いた文字を吸い取った紙でした。
「これを逆さにすると、こうなる」
そこには「ドウカヨロシクオネガイシマス」とあったのです。
「さて次は鴨川を渡るぞ」
火村は浮き浮きしていました。その川を渡ったもう少し先に、火村が研究生活を送る帝大があるのですが、そちらの方には用はなさそうでした。
「そっちの方は優秀な学生に頼んでおけばいい」
火村はそう言って、私を連れて橋を渡り、ある小さな道を左に曲がろうとしました。
「どうやらここだな」
「ちょっと聞いてもいいか」
「何だ」
「電報の件と言い、今我々が行こうとしている場所と言い、今回のラグビー・フットボール選手の失踪と何の関係があるんだ」
「簡単なことさ。僕が見せて貰った電報は須藤のものだ。そして今から行こうとしているのは、須藤が電報を打ったその相手だ。丈武(たけぶ)玲四郎という、この辺りでは知られた医者だ」
火村はそう言って、道から少し入った大きな家の前で立ち止まりました。

私もこの人物の名は知っており、医者としてのみならず、研究者としても名が通っている人物でした。そしてその数分後、我々は丈武礼四郎医師の前に座っていました。如何にも切れる感じの人物で、私は気おくれしていましたが、火村は構わず自己紹介をし、私も火村に続いて、医師であることを伝えました。
「火村先生ですか、お名前は存じております。そして和田先生も」
丈武はそう言い、火村は早速話題を切り出しました。
「実は、同志社英学校のラグビー・フットボールの選手についてなのですが」
「はい」
「選手の一人である須藤剛太郎君が、行方不明になっているのはご存知でしょうか」
「いや、それは初耳です」
「そのことで伺いたいと思いまして」
「火村先生。貴方が帝大で教鞭を取っておられることについて、私は何の異論もないが、このように他人のことに口を挟むのは如何なものか」
「丈武先生、仰ることはごもっともです。しかし我々はこうすることで、一旦警察にわかってしまえば、非常に困ったことになる人物を救い出そうとしているのです。その人物とは須藤君です」
丈武は苦々しい顔をしましたが、火村は平気な顔でこう付け加えました。
「須藤君が貴方に払ったお金の領収書も持参しておりますが」

フルバックの失踪 二

尾畑はこうも言いました。
「ご存知かも知れませんが、丸田家というのはこの京都でもかなりの豪商で旧家です。そこで僕たちは話し合って、当主である次郎兵衛氏に電報を打ったのです」
「それで何か返事はありましたか」
「それが、生憎何もありません」
「それは困ったな」
「これは僕の推測ですが」
尾畑は前置きしてこう続けました。
「この丸太次郎兵衛という人は、須藤から聞いた限りではかなりの『けち』らしいのです。よくありますね、大金持ちなのにお金を使うのをためらう人、そういう感じの人らしくて、この人からお金を貰ったことなどあまりないらしいです」
「それだと不自由だろう」
「遠縁に当たる人から、学費やお金を貰ってはやりくりしていたようです。だから靴一足を買うのも困っていたようです」
火村はしばらく胸の前で両手を合わせていたが、やがて何かを決意したように立ち上がりました。
「よし、まず君が入っている寮へ行こう。そこで雑用をしている人に会いたい」
尾畑も立ち上がり、寮へ火村とそして私を案内しました。医院は幸い午後は休診でした。

やがて我々は京都の市街の北の方にある、尾畑が入居している寮へ向かいました。
「あのレンガ造りの建物は何ですか」
「あれはチャペル(礼拝堂)ですよ」
そのような会話を続けているうちに、寮の入り口についた私たちは、早速そこの雑用と賄いを請け負っている中年過ぎた女性に、このことを尋ねてみました。
「そうですね。あの日須藤さんが出かけてくると言うて、そのまま出て行かはりましたね」
須藤が出て行ったのは午後過ぎで、その賄い婦はそれきり姿を見ておらず、寮監にそのことを伝えたようでした。次いで寮監にも尋ねたところ、確かにその日から帰寮しておらず、密かに警察に捜索を依頼したらしいのです。
「ことが大げさになる前に、見つけ出さんとな」
火村はそう言って寮監に断り、須藤の部屋をあれこれ捜しまわりました。ここは帝大の教授という肩書が大きくものを言ったわけですが、実は京都府警の刑事である令巣藤(れいすどう)とも知り合いであり、そのよしみもあったのでしょう。そして我々は須藤の部屋から、ある下書きのような紙を見つけました。
「これかな…これをこうして」
火村はその紙を透かしてみました。吸い取り紙のようで、そこには
「力になってください」という文字が反転した形で読み取れました。

どうやら電報の下書きのようでした。
「何だか意味がありそうだな」
火村は尾畑の方を向いて、須藤が何か困っていたことがなかったか尋ねました。
「金以外にはありませんでしたね。学業は優秀だし、ラグビー・フットボールの選手としても大したものです。無論、けがはかなりしていましたけどね。それよりも困るのはこちらの方ですよ」
火村はさらに須藤の部屋の書類を捜しまわり、やがて何種類かの書類を内ポケットに入れました。
「これはお借りしますよ。何で役に立つかわかりませんからね」
尾畑がうなずいた時、大きな音を立てて、部屋の扉が開きました。入って来たのは、年の頃七十ほどの男で、和服に袴姿、そして高価そうなステッキを手にしていました。
「あんたさんが火村さんですか」
「はい。ひょっとして貴方は」
「丸田屋の主人、次郎兵衛です」
次郎兵衛はつかつかと部屋の中に入り、尾畑の方をまず向いてこう話しかけました。
「電報をくれた尾畑さんか」
「はい」
「左様か。ここで言っとくがな、余計なことはせんと、とっとと帰ってくれんか」